e−たわごと No.224

投稿日 2006/05/11  日本百名山(1)
寄稿者 竹生健二

はじめに
 
登山家 深田久弥が「日本百名山」を著したのは1964年とある。日本中の、これはと思える山に隈なく登り、その中から百座を選んでその成り立ちや地形の紹介とともに登山記をまとめたものだ。それが今では登山愛好家のバイブルになって、その全てに登ってみようと試みる人が沢山いる。実際に深田氏が登ったのは戦前の頃からなので、当時の登山道の状況からすると、今とは格段に不便だったに違いない。私が剣岳に登ったのは、後述するように1962年の夏で、そのときでさえ富山から電車とケーブルカーとバスで弥陀ヶ原までは行けたが、そこから先 室堂まではお米の入った重いリュックを背負って歩いたものだ。今では毎年五月連休前には、除雪車がまだ深く積っている雪を払いのけてくれるので、観光バスに乗れば両側が5メートルを越える高い雪の壁の中を通って室堂に達することが出来る。一方信濃大町からは、ハイヒールを履いたままで、バス、トロリーバス、ケーブルカー、ロープウェイ、バスを乗り継いで標高2,450mの室堂にたどり着ける。

昨2005年の春に、15才くらいの女子生徒が日本百名山を踏破したというので話題になった。いくら登山道が開かれて便利になったとはいえ、日本中、北は利尻島から南は屋久島まで渡り歩くのだから、交通費や宿泊費だけでも相当掛かる。学校も休まないで行くとしたら大変なことで、本当によくやったと感心した。私と左程年齢に差が無い、元勤めていた会社の先輩で、昨年やっと念願の百名山踏破を達成した人がいる。若いときから努力を重ねてきたようだ。

私も今ではそうした愛好家の一人として、何とか元気なうちにそのうち少なくとも50座だけは登ってみたいと思っている。一歩一歩登っていくとき、また下りてくるのに何でこんな辛い思いをするのかと思うときもあるが、頂上に着いて晴天下視界360度の絶景に接したときは、一気にそれまでの苦労が報われるのだ。以下に私の登山暦を書いてみたい。
 
 

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