e−たわごと No.225

投稿日 2006/05/12  日本百名山(2)
寄稿者 竹生健二

岩手山 2,041m (1951年)
 
これを書き出したのは、2006年の黄金週間が明けた頃である。数日前にNHKの朝の番組紹介で、間もなく始まる朝の連続ドラマ「どんど晴れ」の紹介をしていた。これからヒロインを選んで本格撮影に入るが、その前にこの季節の風景の撮影を済ませるとあって、カメラマンが雫石の小岩井農場から岩手山を撮影していた。「小学校の校舎の思い出」のところで、正門のところから見た岩手山をよく写生したと書いたが、小学校正門前、開運橋、岩山山頂、小岩井農場から見た姿が私は一番好きだ。1952年に私が小岩井農場から撮影した写真のほかに、今年の桜の季節に袰岩さんが撮影した写真が見事なので、ここに転写させてもらう。

山は見る場所を一寸変えただけで、その形が大きく変わる。たとえば中央本線で甲府から小淵沢に向かうと、進行左側に間もなく甲斐駒ケ岳の雄姿が見えてくる。最初は山頂の手前に摩利支天の瘤が見えるが、しばらくするとこの瘤が山頂から左に離れだし、その左の肩が急な崖になって仙水峠へと落ち込んでいく。この変化は何度見ても飽きない。

岩手山は日本百名山の中で私が最初に登った山だ。しかし登ったのは1951年の夏であり、深田久弥が百名山を定義する以前である。しかも山登りが好きで登ったのではなく、学校の夏休みの行事の一環で登ったのだ。だからあまり記憶にない。7月の何日だったか、午後盛岡駅発で東北本線滝沢駅下車、そこから「分レ」を通って柳沢神社社務所まで歩いて約6km。ここで夕方から夜半まで仮眠。あとは記憶にないので地図を見ながらの推測にすぎないが、ここからは一直線のゆるやかな登り道を馬返し登山口まで約3.5km。いよいよ本格的な登りになる。頂上2,038m (当時の地図では2,041mの表記あり) の薬師岳に着いく。ご来光は拝めたのだろうか。そこから網張温泉へ下る。田口絢子ちゃんがつい最近送ってくれた写真は、御苗代湖で撮影したものだそうで、私も写っている。温泉でゆっくり体を休めた後、雫石駅から雫石線に乗って盛岡へ帰った。

今の田沢湖線は当時は雫石が終点で、そのため雫石線と呼ばれ、盛岡駅の片隅にある行き止まりのプラットホームから二輌連結くらいのローカル列車が出ていた筈だ。私の父は岩手県の畜産課勤務だったので、良く小岩井農場へ仕事で出かけ、ついでに私も連れて行ってもらった。小岩井駅から農場までは鉄道馬車があり、父は仕事とあっていつも優先して乗せてもらったが、途中止まったかと思うと目の前で馬が排便をするのには降参した。

追記:小学校生の岩手山登山については、附属小学校百周年記念誌に昭和16年当時のことを八重島 実先生 (後に教頭・副校長) が詳しく記述されている。私はこの先生のご子息に偶然会社でお目にかかった。6年違いの後輩だった。
 

岩手山 1952年撮影
 

岩手山 袰岩さん撮影
 

裏岩手 御苗代湖
 

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