e−たわごと No.229

投稿日 2006/05/16  日本百名山(6)
寄稿者 竹生健二

立山 (大汝山) 3,015m / 剣岳 2,998m (1962年)
 
就職した1961年の夏は、自動車運転免許の取得や残業などで、山に登る機会がなかった。五・六番目の百名山となったのは、その翌年の1962年8月3日から7日にかけての、立山から剣岳への縦走で、これは私にとって本格的登山の始まりだった。

当時はまだ週六日制であり、また会社の仕事は多忙を極めており、同じ課の仲間が数人同じ期間に休暇を取るのが難しかった。さらに会社が設備点検のために会社を全て一時期閉鎖し、全従業員に夏休みを与えるなどはもっと後になってからである。ただし、8月の第一週には日曜日のあとの二日間を夏休みとする慣習があったので、これを利用した。天候がどうなろうが、構っていられない。土曜日を休暇とし、3日の金曜日に仕事が終わってから仲間三人で夜行「黒部」に乗り、翌4日朝6時に富山着。天気は上々。バスで美女平7:50着。今では室堂までバスに乗って快適に行くことができるが、この当時はここからが登山の始りだった。山道だから未舗装なのは当然。弥陀ヶ原9:40着。美松荘10:10着。天狗平11:10着。室堂13時着。ところどころに雪が残っていて、それが真夏の太陽にきらきらして美しい。遠くに剣岳の山並みがはっきり見える。ここからが本格的な登り。一の越14時着。雄山14:45着。その先きが大汝山。富士の折立経由内蔵助山荘16:40着。ここで宿泊。持参のお米を出して、夕食と明日の朝食と弁当のおにぎりを作ってもらう。
5日、昨日と打って変わって天候が悪化。小雨。内蔵助山荘6:38発、剣御前小屋7:44着。雨ははげしくなりレインコートを被り7:50に出る。剣山荘8:45着。一服剣9:25着。剣岳山頂11:30着。登山用の特別な衣類を持っていたわけではない。靴は布製のキャラバンシューズだし、雨具は頭を覆うフードが付いたジャンパーだったから、雨は容赦なく滲みこんできた。視界は全くなく、ただ雨が吹付ける。これが夏山の天候だ。すぐ同じ道をたどって下山。室堂から弥陀ヶ原にかけては雲が取れてすがすがしい天気。東京着は7日、月曜日の何時頃になったか、記録にない。

追記:帰路の運賃は、国鉄の立山夏季 (学生) 割引で、弥陀ヶ原から小見、富山、軽井沢、熊谷経由東京まで、2等2,580円となっている。
 

正面遠方に剣岳
 

雄山山頂
 

剣岳山頂
 

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