e−たわごと No.256

投稿日 2006/06/10  ニイタカヤマノボレ (3/3)
寄稿者 斎藤 毅

(10月12日)
 2:00am 起床。軽い食事をして 3:00出発。新月に近く月明かりは弱いから、ヘッドライト頼りに躓かぬよう注意して歩く。中学時代に皆と登った岩手山を想いだしながら。30分程歩くと森林限界を抜け岩石の多い細い稜線となる。丁度日本の北アルプスの尾根を歩くような感じだったが、登るにつれて岩場が多くなり、勾配も険しくなる。空気もやや薄くなり、息遣いが荒くなるがもう少しの辛抱だ。5:30頂上に至る。とうとう来たぞと思うと胸がイッパイになる。殆んど同時にご来光。山々の東側が輝き、あたりが急に明るくなる。
 新高山は主峰(3,952m、現在名=玉山=Yu Shan)の周囲に、北峰(3,858m)、東峰(3,869m)、南峰(3,711m)、西峰(3,518m)の四天王を従え、更に北北峰(3,833m)、小南峰(3,582m)、東小南山(3,709m)、前山(3,236m)等槍・穂高クラスの山々を幾つも配する大山塊である。何しろ台湾には3,000m以上の山が130座(数え方により 200以上ともいう)も有るのである。
 遠く北方に次高山(3,886m、現在名=雪山。スキーが出来る)、南方に大武山(3,090m。戦前、本邦1万尺以上では最南端の山と言われた山)を望む雄壮豪快な景観が360度に展開している。昔の山仲間の遺影にも一緒に眺めて貰った。当初計画通り一緒に来られれば良かったのだが致し方なき仕儀である。堪能してくれただろうか。
 “I shall return”を心に誓った昔の計画では此処で日の丸を振りバンザイを叫ぶ筈だったのだが、分別盛りのトシともなればTPOを弁えた行動を採らなければならない。“I have come back, now”と心の中で呟くのみ。そして、折角来たのだからと言っていつまでも見とれているわけにもいかないので、6:00下山開始。肩の所で小さな穴を掘り、私より遥かに台湾に思い入れがあったであろう父親の遺影を埋めて合掌。そして独りでは寂しいだろうから、私の爪を切って一緒にした。だから私の身体の一部は既に地下に眠っているのである。
 7:10排雲山荘に戻る。ラーメンと餅の朝食が美味かった。8:30この山小屋を出発し、上東埔に向かう。タタカ鞍部を経て、東埔駐車場の一寸手前の路肩が広がった地点で、ビールで乾杯し昼食。あとは車で東埔温泉へ向かうだけとなったが、ここで思わぬニュースが飛込んできた。この先の道路が土砂崩れで通行止めになっていると。路盤の脆弱性を立証してくれたわけだ。さあ困った。これでは予約している宿に辿り着くことが出来ない。海外旅行にハプニングはつきものだが、山中で立往生とは---。結局、青年活動中心のスタッフの応援を得て埔里に向かうことになった。埔里は本来の目的地・東埔温泉からは遠く離れており、日月潭(風光明媚な湖)と霧社(昭和5年、タイヤル族が蜂起した霧社事件のあった所)の間に位置する街。現在名=仁愛郷)。南投県竹山で晩飯にありついたが、埔里の宿に着いたのは23:30。ヤレヤレ---。でも野宿せずに済み、ホットした。
 
(10月13日)
 9:00埔里出発、台北へ。そして午後台北空港を発ち、18:25羽田着。思えば永い年月がかかったものだが、これで私の戦後はヤット終わった。
 
 

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