e−たわごと No.261

投稿日 2006/06/22  世界最南端の町
寄稿者 八柳修之

斉藤 毅さんの旅行先の選び方が面白い。ニューファンドランドとアイスランドへ行ったという理由である。我々が目にする世界地図の最東端と最西端の地へ行って見たいと思ったのが動機だという。どこを中心に置くのかで最東端、最西端が決まる。ヨーロッパを中心に置いた地図ではベーリング海峡が最東端になるし、南米では南半球を上にした面白い地図もある。松風さんはこのような面白い地図を集めていると聞いたことがある。
そのうち、いずれ毅さんから、最東端と最西端の話があると思う。ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬へ行った話はすでに書いた。ロカとはスペイン語で「気狂い女」という意味であるが、私はロコ、気狂い男とでもいうべきか。で・・世界最南端の話をしたい。

世界最南端の町はアルゼンチンのフエゴ島にあるウスアイアである。ウスアイアへ行くにはブエノスアイレスから3時間、まずリオガジェゴスに飛ぶ。リオガジェゴスは石炭積出港、またパタゴニアの氷河群観光の拠点でもある。ここからアルゼンチン空軍の斑模様のプロペラ機に乗り換える。辺境地への輸送を目的としているが、座席に余裕があれば一般客も乗せる。30分でフエゴ島のウスアイアの町に着く。南緯54度49分、定住者がつくりあげた町としては世界最南端である。

ちょっと、ここでうんちく。1520年にマゼランが、必死に太平洋への出口を求めて海峡(のちマゼラン海峡と命名)を通ったとき、ある夜、南側に火が見えた。マゼランはこの地方の住民に見つけられて住民たちが互いに合図の狼煙をあげているものだと推測した。このことから、ティエラ・デル・フエゴ(火の地)と命名されたが、これは狼煙ではなく寒いこの島に住んでいたヤマナ族などの先住民が火を絶やさないために年中燃やし続けていたものであった。ヤマナ族は海洋民族で、ほとんど裸に近い状態で生活していたこと、蒙古斑をもっていたことが知られている。近年、このフエゴ島で石油と天然ガスの採掘が開始され、その名のとおり火柱が昼夜を問わず天空を焦がす火の島となっている。

ウスアイアの町、かつては流刑の地であったが、現在の人口は約6千人、住民のほとんどは海軍基地かフリーゾーンで働く人である。海軍基地がある理由は、ビーグル海峡にある小さな二つの島の所属を巡って、100年来のチリとの領土紛争があり緊張状態にあったため軍隊を駐留させていた。過疎対策として始められたフリーゾーンには日本のTVの組立工場なども進出している。工場で働く人々の多くは、チリからの出稼ぎであるというから、アルゼンチンは一種の人質を捕っているようなものであった。
その後、ビーグル海峡を巡る紛争は1985年5月に解決され、パタゴニア地方のチリと天然ガス開発、観光開発などの協力計画が進められている。そして、ウスアイアとブエノスアイレスとの間、3200kmはガスパイプラインで結ばれた。
1983年1月、真夏のウスアイア、平均最高気温は13度、最低気温は5度である。突き刺すような風が南極から吹きつけ、夏でもストーブを焚く。夏は白夜で12時を過ぎても明るく、分厚いカーテンを閉めて寝る。100mあまりの目抜き通りの両側にはレストラン、バー、免税店がある。女房はリャドロの人形を買いたかったようであったが無視。(その願いが叶えられたのは12年後のスペイン旅行のときであった)。
食料品などすべてブエノスアイレスから空輸されたものばかりである。
おすすめは茹でたてのカニにレモンをかけて食べるだけのもの。食べ放題とはいえ、レモンをかけて食べるには限界がある。いつも小旅行のときは醤油と箸を持参することにしていたので腹一杯食べた。最近、ウスアイアへ行った人の話では、箸や三杯酢も用意しているとか。
今、自分が世界最南端の町、地の果てに立っているのだと、自分に言い聞かせなければなんの変哲もない町である。(内容は83年当時のもの)

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