e−たわごと No.262

投稿日 2006/06/18  日本百名山(28)
寄稿者 竹生健二

茅が岳 1,704m (1999年)
 
この山も日本百名山には入っていないが、「日本百名山」を著した深田久弥が死去した山として名高い。さて、1998年10月に発足した新会社には、スイス側から出向してきた技術者が数名いたが、その中に登山のベテランが一人いた。Mさんと言う年配者で、昔は奥さんとよくスイスの山を巡り、またお二人でヒマラヤへ行ってトレッキングも経験したことのある人だった。外国人には珍しく、謙譲の美徳を備え、日本人の気持ちをよく汲み取ってくれる人だった。

私が富士山に登った98年8月23日の前日、Mさんはたまたま新会社設立の準備のために出張で来日していた。Mさんはこの機会を利用して、宿泊先の神戸から高速バスを利用して富士登山をしたというので、いつか一緒に山に登りたいと思っていた。その最初の機会が99年5月29日、土曜日のこの計画だった。実は最も早い機会が98年11月の北岳登山だったが、多分日本の山小屋、特にトイレの汚さにあきれると思って誘わなかった。けれども、ご本人は「ヒマラヤに比べれば、富士山の小屋は立派なものだ」と。今回は家内を連れて早朝に車で出発、まず世田谷でOさんを拾ってから、都心のマンションでMさんを拾い、中央高速道路で韮崎へ。ここから一般道に入り饅頭峠に8時着。広い駐車場がある。今回も辰野からNさん、I、S、Hの各君か来てくれて一行は八人。8:20から登りだす。日が差してきて暑い。平素から暑がり屋の私は長袖を着ていられず、そのうち半袖でも暑くなり、ついにランニングシャツになる。女岩9:20着。15分間休憩して再び登りだし、山頂10:45着。富士山は八合目から上だけがうっすらと見える。八ヶ岳がシルエットで見える。しばらくして金峰山の山頂が見えてくる。双眼鏡で覗くと五丈岩が手に取るように見える。昼食のあと下山。敷島町亀沢にSAAS (スイスのZermatt近くにSaas Feeという村がある)というリゾートクラブがあり、そこで入浴のあと軽食を取り解散。
 

茅ヶ岳山頂
 

茅ヶ岳から
 

TOPページへ


iwayama3 since2002.11
Presented by Ayako Taguchi