e−たわごと No.268

投稿日 2006/07/02  白夜紀行
寄稿者 田口絢子

2006年6月12日、私たち一行12名は成田空港11時45分発スカンジナビア航空(SAS)984便に乗り込んだ。キャビンアテンダントの差し出すシャンパンを飲むと昨夜までの疲れがエンジンの震動にゆられて眠りへと誘われていく。

11時間30分のフライトでデンマーク・コペンハーゲンに到着。2000年6月はじめに訪れたときとても寒かったのを記憶していたしインターネットで世界の天気を検索しても14℃〜15℃だったので、同行するお仲間にも「寒いと思います」と情報を流していた。ところがなんとなんと我々が到着する少し前から気温がどんどん上昇して25℃を越す真夏の暑さになっていた。

空港には2004年7月から2005年6月まで盛岡北ロータリークラブで受け入れ我が家にもホームスティしていたペトリーネ親子が出迎えてくれる。ペトちゃんの両親と2人のお兄ちゃんが昨年5月に来日、我が家の離れに2週間滞在した。そのときから「今度はスウェーデンで会いましょう」と再会の約束、その約束が果たせて嬉しい。高校生だったペトリーネも大学生になりすっかり大人の女性になっていた。
国際ロータリーの世界大会は、今年はスエーデン・マルメとデンマーク・コペンハーゲンで開催された。初めての北欧開催、初めての2か国での開催、大会の象徴となったデンマークとスウェーデン国境に架かる美しいオースレン大橋は2000年の旅行の時はまだ完成していなかった。この大会に世界の各地から約1万5,000人、日本からは約1,500人が集まったと聞いた。

3日間の滞在中ペトリーネのお父さんは小型バスを貸し切りお兄ちゃんの友人が運転、お父さんがデンマーク語で解説、ペトリーネが日本語で通訳して市内観光、もちろんスタートは人魚姫の像から。

燦々と降り注ぐ太陽にデンマーク中の人が外に出ているのでは?と思うほど市内のあちこちの公園では老いも若きも肌を出して日の光を浴びている。皮膚ガンの警告などどこ吹く風だ。いまこの太陽の光をあびなければとばかりに裸になっている。でも空気が乾燥してるせいか刺すような日差しでも汗をかかないのが不思議、木陰にはいると爽やかで涼しい。

市内はいたるところが観光スポット、クリスチャン4世が天文台として建てたラウンドタワーにのぼればコペンハーゲンの美しい街並みが一望、アメリエンボー宮殿の衛兵の交替式、旧市街の石畳、17世紀に建てられたローゼンボー宮殿の財宝の数々・・・地元の人の案内は要領よく的確で無駄がない。
                  
コペンハーゲンの街の中で私の一番お気に入りは17世紀の面影がそのまま残っているニューハウン。その昔は荷揚げが盛んで活気溢れアンデルセンも好んで住んでいたところ。レストランの張り出したテラスに座ってのんびりと行き交う人達を眺めながら飲むビール・・・あぁここがデンマークだと実感出来る場所。

ペトリーネの家はコペンハーゲンからオーレンス大橋を渡りスウェーデンを横断して船で渡るボーンホルム島にある。エーゲ海の真珠と言われる島。世界地図を見るとスウェーデンの下にポチっと描かれている。お父さんは学校の先生、お母さんは看護婦さん、2人のお兄さんも教師という教師一家、でも夏のヴァカンスの間だけ島で2つのレストランを経営している。店の名前は「兄と妹」そこへのご招待を頂いたのだが時間が足りない。そこで、ご両親はペトリーネの叔母さんの家で我々をデンマーク家庭料理でもてなしてくれた。

一行はまさかデンマークの家庭にご招待されて家庭料理をご馳走になるとは思ってもいなかったので大喜び。お料理のひとつひとつが初めて食べるもの、全部手作りの最高のおもてなしに感動しながら頂く。にしん料理はいろいろな調理方法があるようだ。デンマーク特有のサワークリームが入った黒パンの上にバターかクリームチーズを塗りその上に酢漬けたにしんをのせその上にスライスオニオンをのせて食べる。トマトとボイルドエッグの付け合わせ、えびのサラダ、レバーのペーストのようなもの。そしてメインはポーク。4,5種類のご馳走が並んだ。
食事の間に何度も何度もお兄ちゃんが「スコーレ!!(乾杯)」と叫ぶ。それに合わせて我々も杯を上げて「スコーレ」ビール、ワインそれと焼酎みたいな地酒で何度も何度も乾杯。

食卓の上は昼間からキャンドルが灯される。こんなに明るいのに?と日本人には不思議だが冬が長いデンマークではキャンドルのゆらぐ灯火が心を和らげるのでしょう。
さて、コーヒーは庭に面したテラスで。まるで公園の中に家があるように木々に囲まれている。
自然を愛しゆったりと過ごす人々、私はいつまでもその時間の中にすっぽりと包み混まれたい気持ちになった。

ラストディナーはチボリ公園の中のレストラン。夕食が始まるのが8時過ぎでもまだ明るいから不思議でない。そこでちょっとした感動シーンがあった。ペトリーネから「君が代」を歌って欲しいとリクエスト。我々は「え?ここで?」と戸惑いながらも神妙に一同「きみがぁよおわ〜〜〜」と斉唱。
ふと見るとペトリーネの目が潤んでいた。「こんなにきれいな国歌はない。これを聞くと思わず涙が出てからだがぞくぞくする」というペトちゃん、バルト海の小さな島から縁あって盛岡に一年間留学したペトリーネの胸にこの君が代がここまで刻まれていたのかと思わず「ありがとう」と私の方が胸がいっぱいになってしまった。

赤紫の絵の具を溶かしたような夕焼け空を見ながら明日はオスロとホテルに戻る。

6月15日空港でお世話になったペトリーネ一家と別れを告げて約一時間のフライトでオスロへ。
ここでは日本人のガイドさんが迎えに来てくれた。オスロもたかが2、3日の滞在なのでガイドさんがなくてもガイドブック片手に歩くことが出来る。
でも、ガイドさんのお陰で、北欧の文化や歴史や現状等々を理解出来てとても興味深い。

オスロ市内もとても分かりやすい。宿泊したホテルはオスロ中央駅付近。そこからカール・ヨハン14世が建てた王宮までの約1,3キロの通りが一番の目抜き通り、歩行者天国でレストランやショップが建ち並ぶカール・ヨハンス・ガーテ通り。
毎年12月にノーベル平和賞の授賞式が行われる市庁舎も近い。グランドホテルの1階にあるグランドカフェは19世紀末にムンクやイブセンが立ち寄ったといわれる名所。
オスロははじめてだがここでも早々にお気に入りの場所を見つけた。
フィヨルドへの観光船が発着するビーベル湾に面した2つの時計台を持つ建物が市庁舎。湾を見下ろすところにアーケシュフース砦、その横の美しい公園を通っていくとアーケルブリッゲ。かつて造船所があった場所とか、いまではお洒落なウオーターフロント。ここでも数あるレストランの張り出したテラスがズラリと並んでいる。

さて、なにを食べようか・・とテラスの前を行ったり来たり・・メニューを見るより食べてる人のお皿を見た方がいい・・・「う〜〜ん、どれも美味しそう」行きつ戻りつしてなかなか決まらない。土地の人が食べてるムラサキガイ(ムール貝 mussel)をオーダー。ワインとガーリックの味がたまらない。とうとう滞在中数回アーケルブリッゲに通い詰めてしまった。
美しい海と行き交う人々を眺めながら飲むビールの味・・ここでも又健康で楽しい旅に「スコーレ!!」

ご一行の中にゴルフ好きが8人もいてぜひ北欧でゴルフをしようということになり比較的時間の余裕のあるオスロでセッテングした。あとでガイドさんに聞くとオスロではゴルフはポピュラーなスポーツではないとのこと、やっぱりゴルフ場を選ぶには世界最強の女子プロゴルファー アニカ・ソレンタムが出たスウェーデンだったかしら?

冬が長い北欧では夏の間はともかく太陽を楽しみ冬はもちろんウインタースポーツ。ゴルフはせいぜい親子や夫婦でのんびりと手押しカートにクラブも数本積んでゆっくりゆっくり歩いて回る。我々日本人は常用カートにレンタルクラブを積んで舗装してないカート道路を砂埃上げならがどんどん走る。2組目の我が方には昔懐かしいようなドライバーが入っていたがその中から比較的新しいのを選んで1本のドライバーを4人で使い回しすることになった。そんなクラブでもスコアにあまり変わりなかったのは何故だろう・・・

二人の奥さまがホテルで待っているのでゴルフはハーフという予定だったが始まったのが3時。ハーフが終わってもまだ真昼の明るさ、それでは後ハーフしようと・・なんともなんともお元気な方々・・・                  
なかでも1924年生まれのドクターと1926年生まれの主人はケロリとしてゴルフが終わりホテルに着いてからまた更に夜の街へと出かけた。かくにも元気でなければ楽しい旅は続けられない。

オスロへ行ったらぜひ「ムンクの叫び(ムンク美術館)」、とフログネル公園の人間と人生をモチーフにした彫刻、ヴァイキング博物館をと教えられた場所もしっかり見学、オスロ郊外のノールウエー最古のガラス工場(1830年)も見学。フィヨルドの風景も楽しむ。
朝もゆっくりなのにこんなにあれこれと楽しめるのも白夜のお陰か。

6月18日いよいよ北欧最後のストックホルムへ一時間のフライト。

ここでは私たちの今回の旅のもうひとつの目的である介護施設見学がある。世界一の福祉国家スウェーデン、先ずはじめに見学したところはSWEDISH CARE INSTITUTE(スウェーデン福祉研究所)。そこの代表取締役のビヨルン・ヴィーグストローム氏からオーバヘッドを使いながらスウェーデン社会の福祉の現状を説明いただいた。
途中コーヒータイムをはさんでたっぷりの講義、私のいま一番関心のあることと通訳の日本女性が福祉関係の専門だったこが良かった。話の内容が理解出来ないとそろそろ旅の終わりに近づいているので眠ってしまいそう。
現在日本と協力してここの研究所と同じものが東京のスウェーデン大使館の中にありますのでもし何か聞きたいことがあったらぜひお訪ね下さいと教えられた。

消費税が25%のスウェーデン、確かに旅をして買い物でも食べ物でも日本と比べて高いと感じた。しかしそれが福祉国家スウェーデンでは高齢になったときための保証だと国民は納得している。EUの中では税率が50%以上と一番高い国。生活費も北欧は他の国に比べて高く特にコペンハーゲンは世界8位、オスロは世界10位と発表された。殆どの家庭が共働きである。

ビヨルン氏は3つのキーワードを話された。一つは国民が(低所得者も高所得者も)同等に同じ良質のサービスを受ける権利がある、
2番目は子ども 高齢者 障害者も同じサービスを受ける仕組みである、
3番目は障害者でも社会の一員として生活出来る社会環境であること。

またこの研究所では障害者のための補助器具の様々な開発研究が行われている。
からだの不自由な方が一人で自立して生活出来るためのモデルハウスはベットから立ち上がった回数がセンサーで分かる仕組み、A4ほどのサイズのボードに絵が描いてあって簡単にテレビをつけたり顔写真を押すとその人が電話に出る 部屋の照明 カーテンの開閉などなどすべてが分かりやすくそして障害のある人に機能的にそしてやさしく自立を助けている。

「ゆりかごから墓場まで」と社会福祉を誇るスウェーデンだがちょっと裏の部分もお聞きした。
スウェーデン国民は、高齢になれば全て国が面倒を見てくれる。子ども達の世話にはなる必要がないと思ってきた。高い税金も老後を国が保証してくれるから男女共稼ぎしても高い税金を納めるよう教育されてきた。しかし、子ども達は成人するとすぐ親元を離れ家を出てしまう。また昨今の熟年離婚もスウェーデンもしかりで妻が夫を、夫が妻を介護出来ない現状もあると聞いた。
施設や介護の民営化も進みそれによる弊害もでてきた・・などなど。

この研究所には年間200人から300人の日本人が訪問するそうだ。日本では私たちの環境がすでに高齢化が進みそして少子化の歯止めがきかない今日をこれからどう解決していくか、安心して老後をおくれる日本の未来をスウェーデンの成功例からも失敗例からも学び若い人達と一緒になって考えていかなければならないと痛感した。

ランチはすこし郊外の高齢者住宅の中にある食堂で障害を持ったお年寄りやその家族の方々と一緒に頂いた。これが旅行中で特別に美味しかった。シチューのようなものだったがメニューの中から自分の好きなのを選ぶことが出来る。アルコールも少しなら飲んでいい。
とってもやさしい味がした。なぜか懐かしい味だった。スウェーデンのお母さんが作るおふくろの味、ふと盛岡にいる母を思い出した。ちゃんとご飯を食べてるかしら?とスプーンを口にして思ったとき涙が出そうになった。

午後はまた場所を変えてグループホームを訪問。きれいな建物の中には各階(4階建て)に8人の障害を持ったお年寄りが入居していた。若い男の子がいたので「家族?」と聞くと夏休みの高校生のバイトさんだった。日本ではあり得ない・・・

作業室には工芸のスウェーデンらしく色とりどりの手芸や絵画や刺繍やアップリケなどの作業が出来るようになっていた。驚いたことに母が元気な頃ハタ織りを趣味として教えたりしてたのだがその織り機と同じものがあった。母に見せようとデジカメを取り出す。織り上げたテーブルセンターも全く母のと同じ感じ、そこでは入所者の作品を売っていたので早速母へのおみやげにテーブルセンターを買う。

個室では品のいいおばあさんが訪ねてきたご主人とお茶を召し上がっていた。目が合うときれいな英語で「どうぞお入り下さい」と部屋に誘う。ベットとサイドテーブルだけが施設のものであとはすべて絨毯から自分の家のものを持ち込むことになってる。天上にアンテックなシャンデリアが下がっている。「ステキですね」と声をかけるとうれしそうに「これは私のひいおばあさんのものなのよ」と自慢した。古いものを大切に受け継いでいくお国柄、なにより寝ていても見上げるとひいおばあさんのシャンデリアが目に入る。どんなにか心安まることかと羨ましかった。

お勉強タイムも終わり早速最後の観光へ。

1628年処女航海で沈没したまま300年もの長い間海底に眠っていた戦艦ヴァーサ号は1950年海洋学者によって発見1956年引き上げられタイムカプセルにのせられて私たちの目に前にいる。戦艦というより17世紀の芸術作品と言いたい。これは見て良かった。

10日間の旅もそろそろ終わりに近づいてきた。疲れた身体をメーラレン湖を眺めながらの遊覧船でのんびりと小一時間、世界遺産にも登録されている「北のヴェルサイユ」と云われるバロック様式の建築ドロットニング宮殿へ。我々以外に日本人が一人も乗船していないのが不思議。現在の王室として使われている居城を見てまたゆっくりと遊覧船で帰る。
                 
青い空青い海、岸辺には日光浴を楽しむ人たちの姿が見える。ヨット、ボート、ジェットボート まるで映画のシーンを見ているような風景を眺めながら船は三つの金色の王冠が付いた市庁舎の横に着く。この市庁舎ではノーベル賞受賞の祝賀パーティが行われる。

バルト海と湖に浮かぶ大小合わせて14の島、50以上の橋で結ばれている「北のヴェニス」ともいわれるストックホルムともお別れの時が来た。旧市街地ガムラ・スタンのくねくねした路地を歩きながらラストナイトをどこにしようと悩む。
やはりガイドさんが云ったようにストックホルムで一番格式の高いホテル、グランドホテルに決めて予約を取る。8時半までいっぱい。でもまだ明るいのだからその時間で予約する。

グランドホテルまでみんなでゾロゾロと歩いているとインド人夫婦に声をかけられた。やはりロータリー世界大会の帰りにスウェーデンに立ち寄ったとのこと、またここでも新しい出会い。

このグランドホテルの最上階スイートルームはノーベルスイートといって受賞者とその家族が泊まる部屋なそうだ。レストランも割合こじんまりしている。ヴァイキング料理という呼び方は日本だけらしいけど、ここではずらっと並んだ海鮮料理から肉料理、サラダ、デザートと何回でも好きなだけ取ってきて食べることが出来るので日本流に今夜はヴァイキング料理。
にしんの酢付けも沢山いろんな種類が出てる。ワインが美味しい。「トナカイの肉を食べていらっしゃいよ」と言われてきてちょっとチャンスがなかったが、なんと美味しくてお代わりしたお肉に reindeerと書いてある。「あら〜トナカイだったのね〜」と思わず叫んでしまう。美味しかった!

デンマーク〜ノルウエー〜スウェーデンと北欧3ヶ国の旅は誰もケガもなくスリにも遭わずのんびりと美味しいものを食べて身も心もリフレッシュした旅だった。成田では一個だけドイツ・フランクフルトまで旅したスーツケースがあったけどそれも2,3日後には無事に到着。ペトリーネに会えたこと、そしていいお仲間といい旅が出来たことに感謝して今夜も又「スコーレ」

 
(写真はクリックすると拡大表示します)
人魚姫の像 ラウンドタワーの上から眺めたコペン市内
デンマーク家庭料理のおもてなし リビングルーム
庭で。デンマークの娘が眩しい盛岡のお父さん ニューハウン
公園の木陰で 対岸のスエーデンが見える
国際大会の余興はABBA 美しい夕日(10時ごろ)
オスロ カール・ヨハンス・ガーテ通り アーケルブリックのカフェテラス シーフードピザ
スコーレ
ビーベル湾の向こうに砦が見える
美しい絵皿模様 レストラン(ガラス工芸)のレストラン。窓の向こうはフィヨルド
ムンクの叫び フログネル公園
人間の一生を表す彫刻 民族衣装(卒業式の後らしい)
ストックホルムの介護施設
グループホームの1室で
母と同じはたおり機
観光船でゆったりと休む 誰もが日光浴を楽しんでいる
美しいドロットニング宮殿(世界遺産) ボートは車より安い
戦艦ヴァーサ号 旧市街地ガムラ・スタン
体格のいい人が多いので・・・ ラストナイトをグランドホテルで(後ろの建物)
 
いい旅でした!!スコーレ!!

TOPページへ


iwayama3 since2002.11
Presented by Ayako Taguchi