e-たわごと No.274

投稿日 2006/07/04   極東(日本?Newfoundland?)
寄稿者 斎藤 毅

(八柳さんに紹介され、というより督促されて、8年前の旅行のことを書くことにしました)

 子供の頃、極東軍事裁判というのがありましたね。映画館で見たニュースで、レシーバーをつけた東条被告らが映されていた市ヶ谷法廷の様子を最近の靖国・A級戦犯等という言葉を見聞きするにつけ想い出してしまいます。
 当時、私は何故極東というのかが解らず親に訊いたら、世界の近世史は欧州を中心に発展したので、近東・中東・---極東等と呼ばれるということだった。然し、丸い地球儀では東といってもエンドレスだし、地図帳では東端はニューファンドランドとなっていた(北半球で。南も入れると八柳さんが書いているレシフェ市近くのBranco岬)。だから日本近辺を文明から遠ざかった地の果てのように言うことは納得出来ぬ、いずれ確認しなければ、と思ったのであった。
 60歳過ぎて少し時間にゆとりが出来たときに、幾つかの年来の懸案事項を片付けようと、動き出した。私にとって、その最大案件が前に書いた「新高山」だったが、Newfoundland(NF)の東端探索もその一つであった。

 1998年6月15日成田発。登山でないから家内同伴。Toronto経由でHalifaxへ。此処は、カナダNova Scotia州(「赤毛のアン」のふるさと)の州都で、家内は本来こちらがお目当である(同床異夢とはこのこと)。
 Halifaxは函館の姉妹都市。此処の城に似せて五稜郭は造られたのであろう。ダビデの星のような形のよく似た城跡がある。Quebecのフランス軍からNew Englandを守る為に築かれた城で、今では歴史公園になっている。 又、此の街には、海洋博物館があって、タイタニック号(此処の沖合い285kmで沈んだ)の模型や 、Halifax Explosion(1917年、ベルギー船とTNTを満載したフランス船が衝突し、港内で大爆発、街の大部分が吹き飛んだ事故)当時の街の写真等がある。
 尚、1919年のアルコック等による初の大西洋横断飛行は此処からアイルランド迄であった(リンドバーグによるNY→パリは 1927年)。

 Halifaxから更にNF東部のSt.John’sへ。
 英国史(西洋史)では、NFは1493年にジョン カボットが発見し、1583年に英国初の植民地として領有宣言した所だそうだ。
 安宅産業が倒産・解体された原因となった石油精製事業(NRC)失敗の舞台でもある。
NHKドラマ「ザ・商社」の元本「空の城」で松本清張はNFをこう紹介している。「ニューファンドランドはカナダが大西洋にせり出した端にぶらさがっている不等辺三角形の島である。約11万平方キロ。島の中央部は北緯49度、西経55度に位置する。----島は亜寒帯の針葉樹に蔽われ岩質の地が広がっている---」
 St.John’s市役所の傍らに「マイル0」の標識がある。NFはカナダでも東端として認識されているから、TCH(Trans Canada Highway)の出発点となっており、此処から西海岸のBC州Victoriaまで、7,775km。

 愈々一番東にせり出した岬“Cape Spear”へ足を伸ばす。その岬の標識の傍らに在った説明文に曰く“The most easterly point in North America.” と ”The most easterly point of Western World.”
 地球(世界)の最も東というわけではないが、此処が東端であることが明記されており、従って此処も、魹ケ崎も、ノサップ岬も、はたまたニュージーランドもニューイングランドも、夫々が表現の仕方によっては、極東と言えるわけだ。更に言えば、此処(Cape Spear)からアイルランド迄は海であり、海を超えた西欧はチョー東の極東だ。(尚、1901年にその超東から発信された初の大西洋横断無線を此処で受信したのがマルコーニであったことは、皆さんもご存知の通りである。)
 
 以上のようなことが確認出来たので、近くの「Signal Hillの戦い」 (1762年に英が仏に勝利して北米支配を確立した) の史跡を見学したり、大鹿のようなカリブーを見に行ったり、大西洋に乗り出して鯨や氷山のウオッチングをしたり、と、期末試験後の休暇のようであった。
 帰りは、ハーヴァートに居た息子を訪ねるべくボストンに立ち寄り、一緒にFenWay球場で地元のRed Soxを応援。6/22の成田着で楽しく実りある旅行を終えた。
 
 

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