e−たわごと No.284

投稿日 2006/07/12  タンゴの発祥地 ボカ
寄稿者 八柳修之
 
時間があれば話の種に是非訪れて見たい所がある。ボカである。
ブエノスアイレスのセントロから南東のほどない所に港町ボカがある。
ブエノスアイレスに住む人たちはポルテーニョ(ハマっ子)と呼ばれるが、ボカに住む人こそ名実ともにポルテーニョと言えよう。

1536年、スペイン人ペドロ・メンドーサが初めてアルゼンチンに上陸したのが、ここボカ(口という意味で入り江になっている)であった。
このボカの港に集まって来る兄ちゃん、姐ちゃん達の間から哀愁のタンゴが生まれたのである。したがって、タンゴは上流社会にも受け入れられるようになったのは大分後になってからのことである。
 
 
その往時の面影を僅かに残しているのがカミニート(小路)である。
タンゴの発祥地として期待していくと、ほんの50メートル余りの短い路で期待を裏切られる観光客が多い。路の両側にはこの町の芸術家の手による像やモザイクの絵が立ち並んでいる。路並の家はトタン屋根のバラックで、朱や青、黄色などの原色のけばけばしいペンキが塗られ、洗濯物がひるがえっている。
かつては、余り物の船の塗料が塗られたそうであるが、今では観光の名所となっているので、このような色が塗られているそうだ。
休日ともなれば、ここの街頭で観光客目あてに絵が売られ、バンドネオンにあわせてタンゴを踊っている。

ボカへ行って、もし時間があればキンケラ・マルティンの美術館に立ち寄って観ることを勧めたい。美術館といっても学校の三階の一角にあるのだ。
このキンケラ・マルティンは捨て子からアルゼンチン一の画家で金持ちになったという人物である。
彼の作品はボカの港町の風景や港湾労働者の働く姿を描いたものが多く、力強いタッチが印象的である。手に入れたお金はすべて慈善のために惜しみなく使ったので、慈父のごとく親しまれ、またこの町では皇帝のごとき権威を持っていたという。この学校も彼の寄付によるものである。キンケラ・マルティンとボカについては、津田正夫著の『ボカ共和国』(中公文庫)に詳しい。
 
キンケラ・マルティンの絵の写真がないので絵皿です
 
ボカが10年くらい前まで、大衆的な魚料理店やカンティーノと呼ばれ、食べて踊れる酒場があり、日本人も行っていたようであるが、店は殆ど潰れてしまい柄も悪くなったので、今では寄り付く者は少ない。
ラプラタ河に面した港に出てみると、スクラップのような廃船、船具、荒れた倉庫、わずかにモンテビデオとの連絡船は一隻係留されている。
かつては、移民船で賑わった面影はない。今はそんな港である。
(記述は1992年当時のものです)
ボカは泥棒が多いところです。次は泥棒の種類について紹介します。

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