e−たわごと No.307

投稿日 2006/08/01  亜国見聞録―2 アミーゴ(Amigo)
寄稿者 八柳修之
 
 
ラ米の人々は一般に陽気で社交的というイメージがある。ではラ米の人たちの人間関係はどのようなものであろうか。
ラ米社会の人間関係のなかで、最も高い価値、大切なものとされるのは絆である。第一に家族であり、次いで父方、母方の親族、コンパドレ(代親、別途書きます)、そして、アミーゴ(友達)の順となる。

アミーゴは辞書では、友達、フレンドの意味であるが、日本人のいう「友達」とは、ちょっと概念が違う。友達のために人肌脱ぐことも厭わないような濃密な関係にあるのが本来のアミーゴであるが、なんらかの形で利害に結びつき、自分の利益になるような関係人もアミーゴに含まれる。
ちなみに利害上の友達のことを(amigo del pelillo.つまらない友達、不快な種の友達) amigo del taza de vino(ワインの評価が違う友達)という。

誰とでも友達になれるかというと、そうはいかない。階層社会であるから、下流の人が上流の人と友達になれるかというと、それは難しい。
単に顔を知っているだけ、何回か話をした事がある程度でもの人でもアミーゴの範疇に入れる場合がある。この種アミーゴがたくさんおれば、それだけ物事が上手く円滑に運ぶからである。
ちょっと知り合いになっただけで、「やぁー、アミーゴ」などと言って近づいて来る人は要注意である。ここでは、そう人を簡単に信用してはならない。何か魂胆があるかもしれないからだ。誰それのアミーゴだと称し、人をなんとか利用できないかと狙っているからだ。これも項を改めて述べるが「コネ社会」であるからだ。

では、家族でもなく親族でもない赤の他人との間に、本当のアミーゴ関係は、どうして生まれるであろうか。
まず、あの人は感じのよい人である、親しみ易い人である(シンパティコ:simpatico)という印象がスタートとなる。なんらかの機会にお互いが顔を知り、その立ち振る舞いなどから、お互いが話をして見ようかという気分から始る。知っている人、知人(コノシード:conocido)となることが第一である。
さて、知人関係になったとしよう。ここで、相手のご意見を伺うとか、一方が話しまくるということでは会話は成り立たない。また社交的、儀礼的な話は退屈させ、長続きせず、単なる知人関係に終わる。
お互いに個性のある内容や意見のやりとり、かなりの程度本心を打ち明ける話にならないといけない。
会話にはユーモアが伴うとさらによろしい。面白い人間であることも大切な要素である。つまり、会話の中で本心をさらけ出し、お互いが信用できる人間であるか、見極めているのだ。金に絡む話はしない。アミーゴ関係に金銭関係を持ち出したら、アミーゴ関係は終わりだ。
そして、家族ぐるみの友人関係に発展して、初めてアミーゴと呼べるのである。
そして、アミーゴになると、家族以上にすべてを犠牲にしてその人のために尽くのである。
この点、仕事の話ししかできない、特に趣味も無い、ユーモアもない、そしてなにより確固とした自分の人生観、世界観を持たない、無宗教の大方の日本人は、所詮、単なる利害関係上のアミーゴにしかなり得ない。

最後にアミーゴに関することわざを披露して、この項を終える。
   みんなの友達は誰の友達ではない。
   古い友達は最も確かな友達だ。
   貧乏人には親戚がいない。
   友達に金を貸す者は敵を受け取る。
(8・1 八柳)

TOPページへ


iwayama3 since2002.11
Presented by Ayako Taguchi