e−たわごと No.314

投稿日 2006/10/02  アンゴラコーヒー
寄稿者 八柳修之
 
 
写真は盛岡市本町をW先生と散策中に見かけたお店である。その名が「アンゴラコーヒー」とあったので思わず足を止め、お店に入った。喫茶店ではなくコーヒー豆を販売しているお店であった。お店に入った理由は、二つあった。
アンゴラのコーヒー豆を売っていたら買いたい。そして、なぜお店の名前をアンゴラコーヒーと命名したかについて、その理由について知りたからであった。
前にも書いたが、私は30年間勤めた銀行の後、西アフリカのアンゴラ、ガボンのオフショアで、仏、伊、西の石油会社と共同で石油開発する会社に10年間勤め、アンゴラにも行ったことがあるので、関心があったからであった。

かなりご年配の主人が店番をしていた。訊ねると、残念ながらアンゴラのコーヒー豆は置いていないという。それもそうだ。世界のコーヒー豆の大部分(アラビア種)は、ブラジルなど中南米諸国によって供給されている。これに対し、アンゴラのコーヒーはコンゴを原産とするロブスター種と呼ばれるもの、豆の色は黄色、風味は甘く酸味もある中性のコーヒーで、日本では馴染みがない。

次の質問、お店の名前の由来は、私にとってより関心があった。
「話せば長くなる話しですが、私が店を構えようとしたとき、アンゴラが独立しょうとしていたときでした。アンゴラは資源があり、第2のブラジルとして発展するのではないかという希望があり、私も店にそのような希望と未来を託してアンゴラコーヒーと命名したのです」と語った。

W先生と思わず、当時の盛岡でね。アフリカの知られざる国を知り、お店の名前にする人もいるなんて、日本中探してもいないだろうなぁ・・この街にそんな人がいるなんて・・いい話だなぁ。教養の高さに感心しながら、その後、アンゴラのことを話しながら歩いた。
アンゴラはアフリカ諸国の中で最も早く発見され植民地化されたが、最も遅く独立した国である。資源に恵まれたが故にポルトガルは最後まで手放さず、長い独立戦争、その後の米ソの代理戦争、内戦が続き、やっと内戦が集結したのは2002年になってからのことである。(たわごと158)
内戦終結後、石油資源などを求めて、世界各国、とりわけ中国が猛烈にアタックしている。多民族統一のため奨励したサッカー、バスケットボールの成果はW杯で証明されている。殖民地時代にプランテーションで耕作し輸出されていたコーヒーも栽培され、やがて、盛岡のみなさんもアンゴラコーヒーを飲むことができよう。

帰宅後、山中さんから、田口さんに託した資料、盛岡のタウン誌「Apple」(2006年2月号)の中にアンゴラコーヒー店の紹介記事があった。ご主人の名は、藤島千種さん、大正13年生まれとあるから、現在、82歳、コーヒー豆一筋の人生、こちらも並大抵な苦労ではなかったようである。残念ながら、記事の中にはお店の名前の由来については、一言の記述もなかった。いい話なのに・・・
(10・2)

TOPページへ


iwayama3 since2002.11
Presented by Ayako Taguchi