e−たわごと No.318

投稿日 2006/10/13  亜国見聞録―11 時感〜アスタ・マニャーナ〜
寄稿者 八柳修之

ジョクークは二度言ってはいけないというが、この拙文を書くにあたって敢えて、もう一度。
「ある日、ブエノスアイレスの駅に遠方からの汽車が1分も遅れず、時間通りに着いた。前例のないことなので大騒ぎとなった。テレビ・新聞記者も駆けつけて運転手を賞賛した。運転手は顔をあかめながら「申し訳ありません。実は昨日着くはずでした」
こんな話を聞くと、アルゼンチンならあり得るのではないかと思ってしまう。人々の暮らしぶりが、せかせかした日本人に比べると悠然としたテンポであるからである。
「時感」、時間の感覚についての体験談。もう15年も前のことであるので、最近、訪日したアミーゴに聞いてみたら、基本的には変わっていないというから書くことにした。

電車やバスに定時という概念はない。バス停には時間表などない。待っていればいつかは来ると思っているからだ。
アルゼンチンの待ち合わせは、遅れるのが当たり前、待たされた人は怒ることもないし、待たせた人が謝ることもない。ごく普通の感覚である。

アルゼンチン人はパーティ好きである。しかし、案内のあったパーティ開始時間に行くのは、まだ準備の途中で失礼とされる。これは初めてパーティにお呼ばれした日本人がよく経験するミスである。
パーティではゆっくりと会話し、食事を楽しみ、時計が0時になってもなかなかお開きにならない。早く帰るのは楽しくなかったという意思表示だととられてしまうからだという。日本なら、遅くまでお邪魔するのはご迷惑、失礼と考えるのだが、地球の反対側なのか逆である。

この「時感」の差は、どこから来るものであろうか? 分析しなくては、イワヤマの読者は満足しない。私淑するK氏(故人)からの話を基にまとめてみることにしよう。
「アルゼンチンはイタリア、スペイン人を主体とする移民国家である。広大なパンパ、自然環境に恵まれ一生懸命働かなくとも食べることには困らない。
自然と向き合って暮らす人間は無力、なるようにしかならない。今日がダメなら明日がある。明日になればなんとかなる「アスタ・マニャーナ」という言葉に代表されるアルゼンチンに共通する国民性、楽観的気質が、こうして生れたのだ」と。

彼等は時間に拘束される生き方は人間らしい生活ではないと思っている。
日本人のように、何時から何時まで何をして、何時に誰それに合うから、そのため何時に家を出て、何時に目的地につき、何時間合い話し、何時に戻り、その後何を何時までするか、計画性、タイムテーブルに縛られる生活をよしとしない。目的地へ行く途中、アミーゴにでも会えば、そちらの会話を重視するのだ。そこで5分遅れた、バスが来なくて10分遅れても気にしない。

「アスタ・マニャーナ」は、もともと「明日まで」という意味である。だが、明日とは文字どおり時間的な明日ではない。意味することは、一週間先、一か月先、いや永遠に先かも知れないのである。
アルゼンチン人は、決して「出来ない」とは言わない。「出来るかもしれないが、いつかは・・・」という意味、相手を傷つけてはいけないと思っているからだ。
日本の役人用語、「検討しておきます」の意味に近い。

「マス・オ・メノス」も曖昧語である。直訳すれば、マスはプラス、オはOR、メノスはマイナスということであるが、大体、そんな、まぁまぁという意味である。相手に「マス・オ・メノス」と言われたら心は否定と思ってよい。
物事を正確に言わないためには、うってつけの言葉である。最近の若者言葉の
「微妙」に近い。
 
パンパス

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