e−たわごと No.321

投稿日 2006/11/11  楓の木の下で −私のカナダ考― (2)
寄稿者 吉田一彦

 
漂流ヴィクトリア港

 『願わくは われ 太平洋の 橋とならん』
 絢子さんが書かれていた盛岡城跡公園やヴィクトリアのビーコンヒルパークにあるという新渡戸稲造先生の言葉。素敵ですね。

 宮古を一度でも訪れた方はご存知だと思いますが、宮古は『本州最東端の地』つまりカナダやアメリカに一番近い地なのです。
 宮古湾は、外洋と重茂半島(宮古より約4キロ沖、私は子供の頃泳いでわたりたいといつも願っておりましたが、達成できず無念)によって画されています。

 この太平洋で100年前に起きたある出来事―――
 1906年(明治39年)に私の叔父さん(祖父の妹の亭主、回漕店主)が帆船の海安丸に材木を積んで重茂半島に航行中に嵐にあって、外洋に流され、帆は倒れ、ろはおれ、水、食料はつきて、乗組員4〜5名とともに太平洋を漂流・・・・全員死を覚悟していたところ奇跡的に23日目にイギリスの船タイタース号に救助され、翌年の1月25日にカナダのヴィクトリア港に到着するのです。

そして、バンクーバーで多くの日本人とともに無事働いて生きていることが諦めていた宮古の家族に届いたときの驚き――――
 
 しかし、この叔父さんなかなか帰ってこない。
 叔母さんも勇気がありました。東京の三越で、シルクのハットやしゃれた洋服を新調し(当時の領収書が残っているそうです)横浜からカナダのバンクーバーに夫を迎えに旅たつのです。
 そして当地で暮らすこと5年。帰国したのは1918年頃だそうです。
 私は、こんな話を物心ついた頃から祖父に何度も聞かされて育ちました。だから『カナダ』、『バンクーバー』なんですね。
 きっと缶詰のカナダへの輸出の話もこのことと関係があるのでしょう。

 この叔父さんの三代目が私の盛岡時代に一緒の部屋に下宿していた彼です。
 彼は京都の大学に進みましたが、例の大阪の宗右衛門町のミス西院を引き合わせてくれたのも彼―――
 
 大阪で終電まで飲んで、京都のネオン街高瀬川沿いをふらつきながら歩いて彼の左京区下賀茂高木町の下宿(くしくも今をときめくプロ野球西武ライオンズの炭谷捕手のおじいさんのお宅)に着いたのは午前3時か4時、勿論私もまだ独身の頃でした。

さて、話が随分横道にそれましたが・・・
 この三代目が1993年5月に住友商事バンクーバー高橋支店長の案内でかって初代のおじいさん達が住んでいた地
(2013,5th Ave‘ West Vancouver BC,Canada)を訪ねます。
「心にこみ上げてくる感激に熱くなるのを覚え呆然と立ちすくんで暫くその場所から離れることが出来なかった」
 岩手銀行経済研究所の機関誌『岩手経済研究(2000年9月号)』の随想『港と私』から抜粋した三代目の感想です。
(次回へ)

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