e−たわごと No.322

投稿日 2006/11/14  楓の木の下で −私のカナダ考― (3)
寄稿者 吉田一彦

 三陸の大津波

 叔父さん夫妻がカナダから帰国したのは1918年頃だそうです。このとき二人の年齢は、34,5歳と思われます。
 私が祖父に聞いたところでは、二人は、洋行帰りのしゃれた洋服を身につけ、珍しいトランクを持って宮古の人々の羨望の的だったそうです。
 一族の中にこの光景をじっと見つめていた少年がいました。
 やがてこの少年は青年となり、陸上競技の100メートルと走り幅跳びの岩手県代表として、明治神宮大会に出場することになりました。
昭和6〜7頃の話です。
 青年は、洋行帰りの叔父さんが大切にしていた記念のしゃれたカナダの外套(二重マント?)とトランクを借りて、颯爽と宮古の停車場から東京に向かいます。

 青年は、明治神宮の大会が終わっても宮古には帰ってはきませんでした。東京の生活が気に入ったからです。
 宮古の青年の両親は、一人息子ゆえに慌てます。
 東京に住んでいた親戚の代議士に電報を打って、『もし息子が見えたら宮古に戻るように説得して欲しい』と依頼しました。
 ある日、お金を借りに代議士の邸宅を訪ねた青年は、懇々と説得されますが、それでも宮古には帰りませんでした。

 昭和8年3月3日、明治29年の地震とともに、歴史に残る大津波が三陸沿岸を襲います。
青年の耳に、
「宮古が津波で全滅した」とのニュースが入ります。
 さすがに青年は、おどろいて、急いで宮古に帰ります。
宮古に着くと3000名弱の人が死亡してましたが、両親や家族は、全員無事でした。
 やがて、青年は土地の娘と見合い結婚をし、男の子が生まれます。
 青年は、父親になって息子が物心がついた頃言いました。
「明治神宮では、吉岡さんや南部さんと一緒に競技が出来てよかったよ。私は、予選で落ちたがね(100m〜11秒そこそこ、幅跳び〜6m40〜50)

  (昭和6年明治神宮外苑の日本選手権優勝者)
    100m〜吉岡隆徳(10秒7)
    走り幅跳び〜南部忠平(7m51)

祖父が私に言いました。
「あの時、叔父さんから借りていったカナダの外套とトランクだがねえ、質で流してしまったようだよ―――」

『青年』は、私の父。生まれた男の子は、言うまでもなく私です。
 三陸の昭和8年の大津波がなければ、私はこの世に存在しなかった?かも。
(次回へ)

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