e−たわごと No.325

投稿日 2006/11/15  阿部和徳さん
寄稿者 八柳修之
 
 
写真は安国論寺の銀杏である。ここの銀杏は鎌倉で一番早く色づく。
墓所には阿部和徳さんが眠っている。
安国論寺は日蓮宗、山号は妙法華経山、日蓮の三大法難、松葉ヶ谷草庵の跡と伝えられる所で、日蓮が1260年、執権北条時頼に提出した『立正安国論』を書いたという岩穴、法窟があり有名な古刹である。
お通夜の読経の後でお上人さんが、「阿部さんは鎌倉がお好きとのことで、一年ほど前に檀家になられました。これからお付き合できるお人柄がよい方だったのでお寺としても大変残念です」というような話をされた。
阿部さんは約一年ほど前に末期癌と診断されてから、自分の眠る場所を探していたのでしょうか。このお寺はIHIの土光さんなど著名人のお墓があり、お布施を包めば誰でもOKというようなお寺ではない。

阿部さんとは小学6年から大学卒業の時まで同級であったが、阿部さんとクラスが一緒であったのは、小学6年のときの数ヶ月にしかすぎない。
大学では先輩になる今は故人となった欣ちゃんとはよくキャンパスで話をしたが、阿部さんには、2年ほど前、高橋明さん肝いりの品川での同級会で、「君と一緒の卒業だったんだよ」と言われるほど、接点はなかった。
あまり、阿部さんのことはよく知らないので、小学校時代の数ヶ月にあった思い出を書くことにしよう。

阿部さんは、6年生の2学期の終わり頃であったか、盛岡の南、彦部から転校して来た。第一印象はニコニコしたちょっとシャイな少年であった。
彦部の阿部さんとかアベックと呼ばれ、すぐ皆にとけこんだようだった。
この印象は、その後のことはわからないが、晩年の同級会でも変わっていなかったように思う。

阿部さんは一度、我が家に来たことがあった。社会科で何か表にまとめることだったと思う。私の家は、それまでクラスで一番遠い町外れの東安庭にあった。当時、阿部さんは彦部からバスで呉服町の富士銀行の前で降り学校に通っていた。その日、我が家には穀町のカネボウの前で降りてやって来たのだった。
そのとき、「渡しに乗れば近いのだが」と言ったことを覚えている。今、山中さんが住んでいる門(かど)と北上川対岸の盛岡農業の裏手とを結ぶ渡し舟があったのだが、危険だということで休止していた。帰りのことを母が心配すると、「兄さんが迎えに来るから大丈夫」だと言った。迎に来たお兄さんは学芸学部の学生だった。のち阿部さんのお兄さんが教生で附属に来たことを知る人は少ないと思う。そして、小学校卒業式のとき、お父上が盛岡市教育長として挨拶された。そのときお父さんが、阿部なんとか衛門という名で紹介された。
そのあと、阿部さんは「おしょしがった(恥ずかしかった)」と、言った。
みなさん、そのときの表情はあのニコニコ顔から容易に想像できるでしょう。

日蓮宗では南無妙法蓮華経を唱えれば、そのまま仏になれ、国も救われるそうです。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・
私の母は安国論寺の横にある介護病棟に入院しており、週に2〜3度行くから、これからはお参りするようにしましょう。安国論寺はウメ、サクラ、ハナモモ、カイドウ、フジで知られている。時期には撮影して
iwayama3に掲載しますから、阿部さんのことを思い出してください。
(11・15)

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