e−たわごと No.336

投稿日 2006/12/13  「盛岡ノスタルジー5」 青龍水
寄稿者 八柳修之
 
 
祇陀寺のある寺の下(今、南大通3丁目)から惣門の方へ下ってくると、左側に故原敬墳墓道案内碑がある。そこを曲がると、左側は大慈寺の蔦で覆われた壁、大慈寺山門への路地である。右手に青龍水という湧き水がある。
青龍水は御田屋清水、大慈清水と並ぶ、盛岡三大清水のひとつで、いまでも澄んだ水が流れている。
屋根がかかり、御影石で仕切られた湧き出し口の一番枠が飲料水で蓋がかかっている。二番目が米とぎ用水、三番目が食器や洗い物、四番目、最後が洗濯物の四槽に分かれている。近所の受益者で結成した青龍水組合が管理し、今でも生活用水として使われているそうではあるが、訪れたときは誰もいなかった。

昔は付近の主婦達が集まって賑やかに洗い物や洗濯しながら、世間話に講じ文字どおり井戸端会議をしたものであろう。
誰でもちょっと水くらいは飲むことはできるが、昭和七年に組合の定めた板書に、「組合員ニアラザルシテ井戸ヲ使用セントスルトキハ、組合ノ許可ヲ得ベシ」とある。上の方には絵馬がいくつも掲げてあった。
街の古老Mさんの話では、水源は祇陀寺、大慈寺辺り、水質もよいのでかつてはあさ開き、岩手川の酒造用としても使われたことがあったという。
水質がよいことから、この近くにある上野豆腐店も今でもよいお豆腐を製造している。

青龍水の横には数寄屋風の建物の川鉄がある。川鉄のことはたわごと「春さん」にも書いたが。大きな生簀が二つあって鯉が飼われていた。
川鉄の板塀が切れた所、大慈寺山門前に大きな芹の田圃があったことを知る人は少ないであろう。肥溜めを埋めた簡易便所があり、どきどき溢れた汚水が芹田に流れ込んでいたので、芹を食べるのには子供心には抵抗があった。
芹田となっていたのは、もともと湧水量が多く、大慈寺の前辺りは北上川に続く大きな沼地であったからという。街の古老Mさんの話では、惣門の森八百屋店の地下には今でも、北上川に下りた名残の石段があるという。ここら一帯は北上川の河岸段丘が発達したところであったろう。蛇足ながら、森八百屋は直木賞受賞作家で宮沢賢治の研究家でもあった森 荘巳池の実家であったという。

大慈寺山門前を流れる小川は下町を横断し、あさ開きの裏辺りで、付中の校庭の真ん中を流れていた水路(正確には桜川という)と合流し、今、神子田の朝市となっている辺りを流れ、やがて神子田の街外れ吉田金三さん宅の横、「鴨入り」から北上川に注いでいた。その流路は暗渠になったり埋め立てられたりして辿ることはできなかった
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