e−たわごと No.337

投稿日 2006/12/24  ふれあい寄席「駒沢落語会」で考えたこと
寄稿者 吉田一彦

 師走の土曜日、新聞に入ってきたチラシを見て、ちょっと気晴らしにと思い、私は「第6回ふれあい寄席」駒沢落語会に行ってみた。
 第6回というからには6年前からやっているのだろう。
 私が目黒の東山から田園都市線で2駅違いの世田谷の今のところに移り住んだのは13年ほど前からだが、今回のチラシを見る前まではそんなイベントがあるなんて全然知らなかった。
 チラシを見ると、その落語会は、私の家の近くにある駒澤大学と世田谷区、地域の商店会などが協力して開催している寄席のようである。

 会場は、家から歩いて10分ほどの駒澤大学の記念講堂で、1時30分開演の30分ほど前にあいにくの冷たい小雨の中を会場についてみると、折からの落語ブームのせいからか、無料ということも手伝ったのか、既に500人ほどの先客で会場はほぼ満席であった。
 空席を探して、一つだけ空いていたので、私は高座の前から二番目の席に座った。
 周りをきょろきょろ見ると、客は、駒澤の学生が少々、あとは私のような老人の男女ばかりであった。

 私が過去にたった一度だけ落語を見に行ったのは実に40年以上も前のことである。
 当時、私は、有楽町の東京都庁に勤めていて、確か日比谷の東京宝塚劇場の上にあった東宝演芸場で東宝名人会を見たと記憶している。
 その時代には、「上野鈴本」、「人形町末広」、「新宿末広亭」という本格的な寄席があったのに、あえて東宝名人会を選んだのは、全然落語になじみのない私がすっと入りやすかった理由からか?
 そのときの名人会には、古今亭志ん生、三平、金馬師匠の今から見れば伝説的なビックネームが出ていたと記憶しているが、落語はその一回きりで、その時をきっかけに私が落語にのめりこんでいかなかったのは、色気盛りのピークにあった私を強い糸でぐいぐいひきつける日劇ミュウジックホールのようなところが他にあったためだろうか?

 さて、駒沢落語会。三味線とお囃子の太鼓の音で、賑やかに開演となった。
 出口囃子の音曲が私の耳に心地よい懐かしさを運んでくれた。
 番組は、落語が5人、こまの江戸曲独楽が一人の6人、落語は、古典落語と新作落語の競演で、古典落語の代表が落語芸術協会で女性で初めて真打となったという早稲田出身の桂 右團冶、新作のほうは駒大出身の桂 竹丸であった。
 久しぶりに聞く落語は、私には結構面白く、聞きながら、笑いながら来年もまたこの落語会には是非来ようと思ったぐらいである。

 私は、落語を聞いていてちょっと気になったことがある。
 それは、聞き手の『笑いに元気がない』ということであった。
 会場全体に華やいだ気分がなく、眠っている人も結構多くて、なんとなく観衆がくたびれているような雰囲気があちこちに見られた。
 40年前の名人会と比較すると、全くお客さんに華やかさがなく、元気がないのである。
 「それは無理もないでしょう。だって皆年寄りになっているんだから」
 と誰かさんに言われてもちょっとだけ待って欲しい。
 昨年秋の盛岡での古希の附中会が終わった直後に山中さんからある資料を送っていただいた。
 その資料によると私が初めて出席した東京渋谷の東邦生命ビル(オスロ)での附中会(1978年1月29日)から今年で丁度28年になるようである。
 私はこの間の会のときつくづく感じていたのだが、この初めての会のときから直近の古希の附中会のときまで、附中会は、驚いたことにちっとも老化してないのである。
 だから盛岡のホテルルイズの会場には、華やかさもあったし、元気もあった。
 それを考えると、今日の落語会に漂っていた元気のなさは、単に老化のせいだけではないようである。
 それではこの元気のない、くたびれた、華のない原因はなにか?
 それはこの集団を構成してる個々人が持つ希望とか、志とか、気概とか、不安とかのメンタルな要素の有無によるのか、私にも正確なことはよく分からないが、多分それらに関係があるのだろう。
 それに、そのベースには経済的なゆとりがあるかないかの問題もあるはずである。
 世田谷の住民は、私も含めて意外と貧乏なのである。
 
 世代が進んで老人という集団は、元気を回復していくであろうか?
 私は、心配になった。
 元気を取り戻しているようでなければ、世の進歩、発展を図る上で困るのである。
 私はこの設問には残念ながら悲観的な答えしか出来ない。なぜか?
 それは、私が公務員として長年やってきた分野と大いに関係があるような気がする。
 現下のマンパワー政策がいけないのである。
 理屈を言えば固苦しくなるので、簡単に触れるだけにするが、パートタイマー、派遣、請負、ニートのような非正規労働力といわれるその人の老後に、何の保障もない労働力を政策として大ピラに認めることは大変な問題を引き起こすのである(私は必ずしも賛成ではないが、小沢一郎氏は、逆に常用労働者の持つ日本的な三種の神器のことをセイフティーネットと称し、一時強調していたことがある)。
 こんな政策をとれば、益々年齢差別や格差が助長され、老人の犯罪、自殺、破産、生活保護などの負の現象が増加していくだろう。
 最近の日本経団連の「労働ビックバン」にしても大変問題がある。
 さすがに現政権もこれに気づいて少し政策の軌道修正をしてきたようだが、政治家、官僚(特に厚生労働官僚)、労働組合の幹部、学者の皆さんには、もっと大きく目を見開いていただいて、日本の現状を的確に直視して、よく考えてもらいたい。
 日本は、いつの間にかいびつな国に変形し、良識の集団、エリート達もいまや機能不全に陥っているのではないか?
 この落語会が40年後も続いていたとして、私がここに白い三角頭巾を頭に付けて現れたとしたら、今よりももっと元気な笑いがはたして聞かれるであろうか、私は心の底から心配である。
 
 打出しの太鼓が鳴って、私は会場の外に飛び出した。
 あいにくの雨は、雨足がさらに速くなっていた。
 私は、ニーヨンロクを傘を手にして、ヘッドライトの交叉する自動車の激しい流れを横目で見ながら、このことがとても気になった。
(完)

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