e−たわごと No.342

投稿日 2007/01/07  新春随想 はぐれ鳥が 羽根を休めて(1)
   −附中会まで・・空白の25年―
寄稿者 吉田一彦

 僕が附中会に初めて顔を出したのは、何歳のときだっけ?
 僕はそんなことが最近なぜか気になっていたが、僕にはどうしても正確なことを思い出すことは出来なかった。
 そんな折も折、昨年の10月に盛岡で開かれた古希の会のときに、僕の席にいらした山中さんに思い余って尋ねてみた。
「ねえ、がんちゃん。僕がこの会に初めて出たのは、東邦生命ビルで開かれたときだけど、あれは正確には何年の何月だっけ?」
 そのとき山中さんからどんな答えがかえって来たか?
 絢子さんがわざわざこの会のために差し入れてくれた美味しい九州の麦焼酎のお湯割りを何杯かいただいた後だったので、えらくいい機嫌になっていた老人の僕は、悲しいことだがその答えを正確に覚えていない。
 それを察したのかどうか、いつもご親切な山中さんから帰郷してから何日もしないある日、僕のもとに資料が送られてきた。
 1つは、やはり当日質問した附属を卒業するときの文集に載っている僕の掲載文に関する資料。もう1つが附中会の開催日に関する資料である。
 彼から送られてくる資料は、いつも正確無比で、山中さんには、本当に感謝している。
 
 その資料によると、東京渋谷の東邦生命ビル31階のレストランオスロで開かれた附中会は1978年の1月29日であった。僕がちょうど40歳のときである。
 このとき僕は附中会の皆さんの前に初めて顔を出したのである。数えてみると附属を卒業してからなんと25年目ということになる。
 このときが僕が附中会に出席した1回目ということでぼけ老人の記憶に間違いないか?
 間違いありませんね。その1月29日の気持ちの動きの変化が今でも鮮明に僕の中には残っているから・・・
 
 僕は、この日附属を卒業して25年振りに会う彼らがどのように変貌したのかを見るのを楽しみにしながら会場に足を運んだ。
 会場の31階に上がるエレベーターの前で僕がまず一番最初に出会ったのはKさんであった。
 彼女は僕が是非会ってみたかったうちの一人であった。
 僕には彼女がKさんであることはすぐに分かった。彼女には、学生時代の雰囲気にさらに落ち着いた渋みのようなものが加わっていた。
 僕は、あわてて彼女に目礼したつもりであったが、彼女はそれに気が付かなかったようだ。僕の方があまりにも人相が変わりすぎて分からなかったためだろうか・・・・
 
 この日から附中会という舞台で皆さんとお付き合いが始まってもう28年が経った。
(続く)

TOPページへ


iwayama3 since2002.11
Presented by AyaKo Taguchi