e−たわごと No.343

投稿日 2007/01/07  新春随想 はぐれ鳥が 羽根を休めて(2)
   −附中会まで・・空白の25年―
寄稿者 吉田一彦

 僕は、山中さんの資料を見たときに一番関心を持ったのは、皆さんとのお付き合いの期間28年と大体同じ長さの附属を卒業してからこの会が始まるまでの空白の時間が僕には25年ぐらいあったことだ。
 その25年の間には、附属の同級生と会った記憶は僕にはほとんどない。
 だから誰も私がどんな生活を送っていたのかは知らないが、その25年を自分で評価すれば、前半の十年ぐらいは人生への焦りと苦悩の辛い時代であったが、その後の15年は、いつかノンジャンルでも書いたように鳥取県や新潟県の県庁への異動があり、そして旧労働省の本省の課長補佐などを勤め、役人としてはもっとも希望に胸膨らんだ順風満帆の時代であったと思う。
 僕は、自慢するためにこんなことを書いているのではない。以下のようなつまらん空想を皆さんに聞いてもらいたいからである。

 もし空白の25年の間に附中会が作られ、私がこの会に出席していたら、附中会の皆さんとの関係はどうなっていただろうか?
 想像してみるだけで僕はとても面白い。
 しかし、実際問題として、空白の25年の前半の10年に附中会の設立が企画され、僕に案内があったとしたらおそらく僕は毎年欠席の返事を出しただろう。とても出席できるような精神的なゆとりというものがその頃の僕にはなかったから。
 また、後半の15年の間に案内があったら地方勤務で出席できなかったろうし、あるいは東京にいても超多忙で出席しなかったかもしれない。
 そんなことを考えてみれば、僕が初めて案内をもらった1978年の1月29日という日はまことにグットタイミングだったような気がする。
 附中会そのものと僕との関係や皆さんとの関係がとても良好で、附中会が僕の人生にとってかけがえのないものになったことを考えれば、一目瞭然である(Mさんから今年いただいた年賀状には『クラス会にはせっせと出ましょうね』と添え書きがしてあったが、彼女も同じような考えかも知れない)
 
 附中会に対する考え方は、人それぞれだと思うが、僕の場合は、自分のような人生の『はぐれ鳥』がゆっくりと羽を休めるところだと思って28年間附中会と付き合ってきたような気がする。
 この間の会の運営に心を砕いてくださった幹事の山中さん、田口さん、在京幹事の高橋さん、工藤さん、三舟さん、大野さんそして小笠原ご夫妻を初めとする幹事をやられた皆さんには感謝の気持ちで一杯である。
 
 くしくもこの文章を綴りながら、IWAYAMA3の表紙Horo−San撮影の新春「夕陽を背に餌付けを待っている中津川の白鳥たち」を拝見させてもらった。
 渡り鳥の白鳥たちが羽を休めるところ、附属への通学の行きかえり、なんとなく眺めていた清流『中津川』がもしかしたら僕が考える『附中会』ではないか?
 そして皆さんが美しい『白鳥』で、白鳥の側には、鴨も群がっているようだけど僕は餌付けのおじさんの後ろに隠れている『はぐれ鳥』。「いつの日かノーブルな『白鳥』でなくてもせめて『はぐれ鳥』を卒業して『鴨』でいいからなりたいなあ・・・・・」
 僕は一人ごとのように呟いた。

 
終わりにー
 山中さんからいただいた資料とHoro−Sanの写真という二人が恵んで下さった友情をもとに、私は2007年のスタートに当たりショートショートの随想を考えてみました。
 でも、皆さん面白くなかったらごめんなさい。まだまだ私の力量不足です。これからも勉強します。
 
   本年もどうぞよろしく―――
(完)

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