e−たわごと No.357

投稿日 2007/01/19  「盛岡ノスタルジー10」 松尾神社 (続)鉄砲火薬
寄稿者 八柳修之
 
 
松尾神社ってどこにあるのか。盛岡に住んでいる人でもあまり知らないであろう。私の通学路にあった神社で、とりたててノスタルジーとして採り上げるつもりはなかったのだが、裸参り、そしてさらには鉄砲火薬の話の延長線上にもあったからである。

学校からの帰り道、住吉神社、八幡宮の前を過ぎると、岩手製綿(今、マンションとなっている)その隣にあるのが松尾神社、そして十六羅漢と続く。
この神社の思い出といえば、境内で野球をやったことだけである。この地区に住む附属の生徒と大慈寺のガキャンド(ガキの複数形、ワラシャンドと同義)と試合をやることになり、員数あわせのため駆り出されたのだった。
附属は盛中生だったM兄弟、K兄弟、H兄弟、下は土屋さん、細川さん、そして、運神のない私はライトで四球待ちの打者であった。年長者が打てば畏れ多くも神殿を直撃するが、宮司の娘さんも附属だったので大目に見てくれた。
今の子供達とは違って、昔の上級生は下級生の面倒をよく見たものだった。

岩手製綿の脇には湧水があって、この水を大きな桶を積んだ馬車が、浜藤やあさ開きに運んでいた。神社の前には桜川が流れていた。その名のとおり桜の木もあった。桜川の源流は附中の校庭の真ん中を流れていたあの堰である。
「松尾神社はお酒の神様を祀っているんです。裸参りはもともと南部杜氏が松尾神社にお参りしたのが始りなんです。桜川の神社の前辺りに垢離とり場といって浄めの場所があったんです。」とは古老Mさんのお話である。
そういえば、川に下りて行く石段があったような気がする。

ここで終わったのでは話にならない。私はまだ、三田横町余話、鉄砲火薬にこだわっていた。「東中野村のうちの中野館において、鉄砲火薬を製造した」という「内史畧」の一節。中野館はどこにあったのかである。
附六の高野さんから、「近世こもんじょ館」という南部藩に関する資料をネットで見ることができるという話を聞いていた。ネットは図書館に足を運ばずとも目的物にアプローチできる便利な手段である。「中野館」は簡単に見つけることができた。

結論から先に言えば、松尾神社があるところに「中野館」があったのである。
歴史は戦国時代、南部氏が本拠地の三戸から南進、志和郡斯波氏と梁川を挟んで抗争したとき南部方の前線拠点となったのが、現在の松尾神社のあるところにあった中野館だった。天正14年(1586)に中野吉兵衛が守ることととなったので、中野館と称した。南部氏が勝利し盛岡城が築かれるとともに戦国時代の名残である館は廃止され、南部氏はその跡を鉄砲火薬場としたのであろう。
松尾神社が創建されたのは、それから120年後、宝永3年(1706)年のことである。
1月15日に裸参りが行なわれたが、松尾神社は裸参りのルートは入っていないようである。裸参りについては、たわごとNO.164に書いた。
(1・19)
(参考資料:HP近世こもんじょ館、「岩手県の歴史」細井計一ほか、山川出版社)

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