e−たわごと No.364

投稿日 2007/04/26  「盛岡ノスタルジー11」 馬検場
寄稿者 八柳修之
 
 
馬検場の写真を見て一番懐かしいと思うのは、福田さんではないでしょうか。
なぜなら、福田さんの父上はかつて軍馬購買官をされ、馬検場の近くの松尾前に住んでいたことがあるからです。(その前は天神町、近くに柳沢さんの家もあった)
戦後、20年代後半まで、馬はまだ運搬用や農耕馬として使役されていた。
小学校からの帰り道、家が遠かったから通りがかりの荷馬車や馬橇に乗せてもらったこともあった。
以前、袰岩さんから送ってもらった写真、附属中学、赤山への道と附属小学校の角子(すまこ、住所でもある)には荷馬車が写っている。中学時代に撮影したものと思われるから、少なくとも1952〜53年ころまでは馬は使役されていた。
凍った馬の落し物を箱に入れて包装し忘れ物を装い、こっそり誰かが拾って持っていく様子を窺がって楽しんだ話、雪玉の芯にしてぶつけた話、踏むと頭がよくなると言われて踏んだ話などよく聞いたものだ。また春になると落し物の糞塵が舞った。

馬検場のある所は、現在は松尾町となっているが、以前は新馬町と呼んでいた。
馬検場の敷地は広く、馬小屋、馬棚、係留地があったが、畜産会館、社会保険事務所などが建っていた。戦前は馬産地、軍馬の育成地として日本一を誇った岩手、さぞ賑わったことであろうが、セリ市を行なう屋根つきの馬場(パドック)だけが、わずかにその面影をとどめているにすぎなかった。
山本嘉次郎監督、高峰秀子主演の映画「馬」の舞台ともなったと言われるが、そんな昔のことは分からない年代である。
だが、小学生のころまで、毎年、秋に馬のセリ市が一週間ほど開かれていた。
当時はもう荷物を運ぶ駄馬や農耕馬だけだったと思うが、かなり馬や馬喰で賑わった。馬町には馬喰宿もあったが、馬小屋で馬と寝起きを共にしてセリを待つ飼い主の姿が思い出される。馬の小便で土掘れるといわれたように、臭くて不衛生であった。

やがて、その広い馬検馬の敷地で農機具市が開催されるようになり、オート三輪車やオオタ、トヨエースなどの小型車が出現するようになると、馬は急速に減少していった。今、わずかに残った屋根つきのパドックには、馬に代わって自動車が駐車していた。
毎年6月の初めには行われる「ちゃぐちゃぐうまっこ」、馬を集めるのに苦労するそうである。
(4・26)

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