e−たわごと No.365

投稿日 2007/06/04  都会の中の小さな昔の故郷
寄稿者 工藤 力
 
 
 私の生家は盛岡市にあり、市の中心から数十km東側に南北に連なる北上高地の最も西側に位置する標高約340mの岩山の麓に位置し、子供の頃は市の郊外であった。当時、生家の周囲には田畑(以下、田圃、野菜畑、果樹畑を纏めて田畑と記載する)、野原が広がり、農家の人々が毎日農作業をするのを目の当たりにして育った。生家は現在も同じ場所にあるが、周囲が開発されるとともに田畑、野原が宅地化されて住宅街になっている。また、岩山にもゴルフ場、動物園等が建設され、子供の頃とは一変している。
 子供の頃の生家には板塀で囲まれた庭の外側に、農家のそれら程広くはないが野菜畑とブドウ畑があり、親の手伝いをして野菜の栽培、ブドウの手入れ、収穫をした記憶がある。岩山には親に連れられて春には山菜取り、秋には茸取り、栗拾いに行った記憶もある。近所の友達とは岩山に木苺、桑の実を食べるため、スキーをするために出掛け、道路を隔てた向い側の附属小学校の校庭で野球をしたり、冬には近所の田圃に小川から水を入れて氷らせ、スケート、アイスホッケーをして遊んだ記憶もある。

 現在、私が居住している横浜市青葉区の北部には、東京都町田市と川崎市麻生区に隣接する寺家町という町があり、この町には「ふるさと村」、「ふるさとの森」の名称で自然を保護している区域がある。この区域は農業用水路により都会と区分され、ビル、スーパー、コンビニ、ガソリン・スタンド、自販機、信号機、街灯等々の都会的な施設は一切なく、田畑、野原等が広がり、区域内の小高い山々には種々の樹木、竹が自然のまま生い茂り、昔ながらの農家が点在している。
 このふるさと村は、自宅から徒歩で約30分程の距離であること、子供の頃過ごした生家周辺の昔の風景に小規模ながら類似していることから、散策を兼ねて出掛けることが多い。綺麗な空気を吸いながら、小型の車一台がやっと通れる程の小道を歩いていると、冬期を除き、季節の彩りと香りが、子供の頃の記憶を呼び起こしてくれるので、楽しく、心の和む一時を過ごすことができる。
 このふるさと村の散策は、現在では盛岡の生家の周囲でも体験できなくなった自然との触れ合いを私に与えてくれる貴重な一時であり、私にとっては子供に戻ったような気持になる。オタマジャクシを両手で掬い取ったり、稲穂に止まっているトンボを捕らえたり、コオロギを捉えたり・・・・・・・。もちろん、オタマジャクシも、トンボも、コオロギも、これらを育てた自然に戻している。

 春、枯れ木のような落葉樹、果樹に若葉が芽吹き、桜が開花し、春の香りが漂う。何もなかった田圃には農業用水路から小川を通して引き込まれた用水が満たされて稲の苗が並び、水鳥が苗の間を回遊し、オタマジャクシが泳ぎ回り、ウグイス、カッコウ等の小鳥が春を告げるようにさえずり、スズメ、ハト等の野鳥が群れをなして飛び交い、長閑な自然を見聞することができる。野菜畑には各種野菜の苗が植えられ、緑が日々多くなり、春の到来を告げている。
 子供の頃の春の記憶と異なるのは、芽吹き、桜の開花が早いこと(盛岡よりも約1ケ月早い)、山菜取りができないこと、木苺、桑の実を食べられないことである。子供の頃の記憶と最も大きな相違は、農作業用機械とビニール・ハウスの存在であり、これらを除くと子供の頃の記憶とかなり合致する。

 夏、梅雨が明けて気温の上昇とともに樹木の葉が茂って緑が一層濃くなり、アジサイ、ユリ、ヒマワリ等の花が咲き、暑さとともに夏の香りが漂う。田圃では稲の苗が伸びて穂を出し始め、小川から引き込まれた用水中では蛙が鳴き、バッタ、カマキリ等の昆虫が出迎えてくれ、長閑な一時を体験できる。野菜畑では夏野菜が収穫期を向かえ、農家の人々が強い日差しの中、収穫を行っており、果樹畑では梨が大きく実り、収穫を待っている。 子供の頃の夏の記憶と異なるのは、気温が高いこと、果樹畑で梨(横浜で収穫される梨なので「はまなし」と呼ばれている)が実っていることであり(生家の近所には梨畑がなかった)、これらに拘らなければ子供の頃の記憶と一致する。
 子供の頃の夏の記憶には、夜に田圃で蛍を捕まえたこと、暑さのため寝苦しい夜、就寝時にガラス戸を開け放して蚊帳を吊り、消灯して蚊帳の中の布団に横たわっていると蛍が飛んできて蚊帳に止まっていたことが残っている。ふるさと村には街灯がないこと、最近、無謀な殺傷事件が多発していることから、夏の夜にふるさと村を散策したことがないので、ふるさと村で蛍が舞っているのを見たことがないが、ふるさと村の農家の人によれば、昔より数は減ったが飛んでいる、とのことであった。

 秋、落葉樹の葉が色付き、稲の穂が頭を垂れるように実り、柿の実が色付き、栗の毬が割れて実が覗き、キンモクセイ、コスモス等が開花し、涼しさとともに秋の香りが漂う。春、夏の緑一色から赤色、橙色、黄色等の色彩豊かな景色に移り変わり、種々のトンボが飛び回わり、コオロギ、スズムシ等が競い合うように鳴いている。田圃では稲が刈り取られ、野鳥が群れをなして落ち穂をついばみ、果樹畑では果実が収穫されて落葉が始まり、小高い山の落葉樹も次第に葉を落とし、寂しい風景へと移り変わる。落葉を踏む音を聞きながら歩いていると、子供の頃に落ち葉を振り掛け合ったこと、落ち葉を集めて燃やし、サツマイモを焼いて食べたこと等が思い出される。
 子供の頃の秋の記憶と異なるのは、紅葉が遅いこと(盛岡よりも約1ケ月遅い)、茸取り、栗拾いができないこと、ブドウの収穫ができないこと、果樹畑に林檎の木がないことであり(盛岡では林檎が特産品の一つである)、これらに拘らなければ子供の頃の記憶と一致する。

 冬、小山の落葉樹、果樹が葉を落とし、サザンカ、ヒイラギ等が開花し、寒さとともに冬の香りが漂う。来春に備えて眠りについて枯れ木のような落葉樹、何もない田畑の寂しい風景の中を、低い日差しの中、落葉を踏む音を聞きながら歩くことは、子供の頃の記憶にはない。
 子供の頃の冬の記憶には、落葉樹も、針葉樹も全て雪に覆われて真っ白に衣替えし、田畑も降り積もった雪に覆われ、一面純白の世界となったこと、山にスキーをしに出掛けたこと、近所の田圃でスケート、アイスホッケーをしたこと、野原で雪合戦をしたこと等が残っており、盛岡と直線で約510km南の横浜との気候の差を実感している(現在、盛岡も温暖化により積雪量が減少し、気温も高くなっているようである)。

 このふるさと村を訪れるもう一つの楽しみがある。それは農家が有機・無農薬栽培し、その日の朝に収穫した季節の野菜、果実、花を格安の値段で販売してくれることである。
「今日は、大根ないの」
と言うと
「待っててください。取って来るから」
と、目の前の野菜畑から大根を抜き取り、土の付いた取り立ての大根を家に持ち帰ることもある。子供の頃、母親から野菜畑の大根を取って来るように言われ、抜き取った土の付いた大根を母親に手渡したことが思い出される。

 現在、スーパー等では季節とは無関係に野菜、果実等が販売されているが、生家の畑からそれぞれの季節の野菜を収穫した記憶、生家の周囲で農家の人々が季節の野菜、果実を収穫する作業を見た記憶から、私は野菜、果実が季節を伝えていることを実感している。開発により絶滅に瀕している動植物種が社会問題になっているが、「便利な社会は、自然を失っているのではないか」と、ふるさと村を散策するたびに危惧している。

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