e−たわごと No.368

投稿日 2007/04/28  「盛岡ノスタルジー13」 車門
寄稿者 八柳修之
 
 
この土蔵は喫茶店、車門である。場所からすれば八幡町かと思ったが、住所は肴町であった。
中学一年のころ、農試の職員と初めて入った喫茶店である。とりわけコーヒーを飲みたかったわけではなく、好奇心、一種の社会見学であった。
戦後のどさくさも一段落し、特別な日には、まつばやのショートケーキにコーヒーを飲むという程度の暮らし向きになっていた。ネルのドリップ式であったから、飲んだあと母親は大変あったが・・・。豆はすでに川徳で売っていた。
家には農試の職員がよく遊びに来ていた。今、評判だという喫茶店の話が出て、行って見たいと父親にせがんだ。父親はためらいもあったが、最終的に中学生にもなったし、職員に連れて行くように頼んだものであった。
現在、内部は改造されているが、当時はまったくの蔵そのものであった。音楽はかかっていなかったように思う。

高校を卒業して東京に出るまで、盛岡で喫茶店に入ったのは、この一回だけだった。喫茶店は料金が高かったし、第一、一緒に行くような人はいなかった。
東京に出ると、真っ先に行ったのは神田にあるタンゴ喫茶「ミロンガ」であった。このころ喫茶店はすでに分化していた。「らんぶる」「田園」などの名曲喫茶、ジャズ喫茶、歌声喫茶、テレビ喫茶、純喫茶、美人喫茶、同伴喫茶・・・全盛時代であった。大学生になると、茶店(サテン)で長時間だべったものだし、お水に砂糖を入れて粘ったこともあった。喫茶店でゼミをやるという先生もいた。
その後、隆盛をきわめた名曲喫茶もステレオやレコードが誰にでも買えるようになり、インスタントコーヒーも出回るようになると一時衰退していった。
社会人になって、ステレオ、カメラを持っていることが、独身男性のステイタスシンボルでもあった。
現在、喫茶店は再び隆盛をきわめている。スターバックス、タリーズ、ドトール、ヴェローチェなどのチェーン店は全国展開し、マンガ喫茶、ネットカフェなどは、ここで寝泊りする人たちが出現し社会問題ともなっている。

さて、現在の車門であるが、メニューにカレーもある喫茶店になっていた。
純喫茶だけではやっていけないのであろう。一階はカウンターとテーブルが3〜4卓、チェーン店のように喧騒たる雰囲気とは違った落ち着きがあったし、一見して客種はそれとは違っていた。
ウエイトレスにお店の創立を訊ねたら、女店主がやって来た。「私がここに来たときからあったから、戦後間もなくでしょう。このマッチ箱はその当時からデザインで変えていません」と言って呉れた。茶廊 車門 もりおか肴甼 とあるだけのものであった。タバコは吸わないが貰った。
ベトナム人の若いウエイトレス。感じよかった。けっぱれ!(これって、盛岡弁だっけ?)
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