e−たわごと No.370

投稿日 2007/05/01  「盛岡ノスタルジー15」 肴町商店街
寄稿者 八柳修之
 
 
かつて肴町は盛岡一の商店街として賑わっていた。そして肴町商店街の子弟の多くは附属に入っていた。亀が池が半分埋め立てられ、河南と河北とが繋がるとお客の流れが変わっていった。要因は分からないが、老舗が多い肴町に対して、振興の大通り商店街はおしゃれなお店が多かったこと、盛岡の街自体が北へと移っていったことなどでしょうか。
これではいけないと、肴町商店街はアーケード街にしたようであるが、お客はあまり戻っていないようである。そして郊外に大型スパーの出現、全国どこの地方都市で見られる現象である。

元川徳のあった地点からアーケード街を歩いてみた。小中学校のころから今でも営業しているお店を挙げると、繁田園、東山堂(楽器)、竹原茶店、鍵屋、平金商店(文房具・事務機器)、永卯、いさごだ(制服・作業着)、鈴江印房、村源薬局、熊長、川村洋物店、亀半呉服店だけであった。
盛岡の本屋といえば、久保庄と東山堂とが二分していたが、久保庄は無くなり、東山堂も楽器が主体で書籍部門は縮小されていた。三階建ての石造りの榊呉服店は建て直されてビルになっていた。写真は永卯、昔の二階の部分を残し復元した建物、以前は洋品店であったような気がするが、今は北欧陶磁器店と八百屋さんとなっていた。北欧陶磁器店、お客はあるのでしょうか?

村源薬局のずらりと掲げられた仁丹や中将湯など薬の名前を金文字の看板が見られるかと思ったが、中に入ったが見られなかった。どこかに保存してあるのでしょうか。
村源は近江商人で、中ノの橋の角に出店(でだな)を持ち、北上川を上下し薬草を販売していたが、安政4年(1857)、八代目のとき、肴町の現在地に店舗を新築、明治23年(1890)、薬品販売の法律が制定されるや、村井源盛堂薬舗を開業するに至っている。
この項、田口さんから貰った「街もりおか」という小冊子2007年3月号に、昭和43年、彦さんこと鈴木彦治郎氏司会による村源12代、木津屋12代、阿さ開10代、老舗三家旦那による座談会の復刻版による。(現在いずれも故人)

「代を累ねて益々繁昌のうちに暖簾を受け継いでいる店、揺るがず今に隆々と栄えているということには、やはり尊さを感じずにはおられな」と編集者は結んでいる。今どき、お店によっては、店主はおろか店番さえおらず、お客が「ごめんぐださい(もっす)」といって、はじめて奥から「なにす」なんて出て来る店もあると聞いた。驚きだ。
(5・1)

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