e−たわごと No.374

投稿日 2007/06/23  ガンちゃんのこと
寄稿者 八柳修之

ガンちゃんこと山中莞爾さんが亡くなられた。ここ一年、阿部和徳さん、小笠原靖幸さんと相次いで星になってしまった。田口さんや吉田さんが、山中さんの想い出、人となりを書かれていたが、まさにそのとおりである。
断片的なことになりますが、ガンちゃんを偲ぶ一文とします。

その前に、山中莞爾さんのことをなぜ「カンちゃん」ではなくて「ガンちゃん」と呼ぶのだろうか。名付け親は誰なのであろうか。
勝手な想像である。小学校4年のころ、ガンジーが暗殺されるという衝撃的事件があった。戦後の教科書に出て来る偉人といえば、エジソン、ナイチンゲールなど西欧人が中心で、アジア人ではガンジーくらいなものであった。
理想とする国は英米ではなく、無抵抗平和主義のインドを理想とする風潮もあった。そんなガンジー=ガンちゃん、と重ね合わせたのかなぁ。

山中さんの肝いりで第1回の同級会が開催されたのは、78年1月であったというから、30年もの間、文字どおり幹事さんを務めていただいたのである。
毎回多くの人が集まるのは、山中さんの人徳と調査力によるところが多い。
小中9年間、附属の特殊性というか、お役人、学校関係など転勤族の子弟が多く、また戦時疎開、大陸からの引き揚げなどにより、転入転校が多かった。
山中幹事による附小中の同級会のよさは、1年でもあるいは数ヶ月でも在籍した人を分け隔てなくメンバーとして歓迎していることにある。そのための名簿づくりは、興信所顔負けの調査であった。もっとも、後年、簡単にお役所が情報を公開しないようになってから、行き詰ったことを嘆いてはいた。
また、折角、消息が分かった同級生であっても、学校や盛岡での思い出が良いものではなかったのか、あるいはここには書けない他の理由で「連絡は不要」と断られることもあったと聞いた。
そんなことからか、山中さんは、初めて出席した人や引っ込み思案の人に気遣い、決して、話しの中心となったり、自慢話などする人ではなかった。

花巻で同級会があったとき、盛岡市内を車で案内してもらったことがあった。そのとき、初めていろいろ話しをする機会があった。ほんとうは同級会の面倒を見るどころではない事情を聞いてしまったのである。身体強固と思っていた彼の口から「小学生のころに脱腸をやってから、俺の身体はあちこちメスが入りズタズタなんだよ。それに身体の悪い娘を抱え、世話のために夜はろくに寝られずくたくたになることがあること、娘の将来のことを考えると不憫でたまらない」という話であった。同級会、宴もたけなわとなる頃には山中さんの姿はなかった。
この話を書いてよいものか迷ったが、山中さんの知られざるご苦労を知ってもらいたく封印を解いた。

山中さんは、iwayamaには、投稿することはなかったが、よく見ているようで、私が関心のありそうな新聞記事やタウン誌の切り抜き、写真などをよく送ってくれた。なかには私のオヤジのことを書いた本や資料を見つけたと言って、送ってくれたこともあった。
昨年の暮れ、宅急便で、「これまで蒐集したゴミです。使えるものがあれば使ってください」と言って、新聞切り抜きなどどかっと送られて来たことがあった。今、考えてみると、死を予期して身辺整理をしていたのかも知れない。
iwayamaには駄文を送り続けることにしよう。 合掌
(6・23)

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