e−たわごと No.378

投稿日 2007/09/04  遠野へ(1)
寄稿者 八柳修之
 
道の駅「風の丘」のテラス
左から坂水さん、高野さん、細越さん

 
遠野は以前から一度行って見たいと思っていた所であった。高野さんからのお誘いは渡りに船であった。父が学校を出て、最初に任地した土地が遠野であった。遠野には2年ほどしか勤務しなかったが、福山とかいう旅館に逗留し、休日は山に登った話など断片的に聞いただけであった。
そんな遠野、当時とは大きく違っても、父が見た原風景の一旦でも見て、感じておきたかった。
8月31日から9月2日まで、2泊3日の遠野行きの企画は高野さんの肝いりによるものである。千葉から坂水さん、長野から池嶋さん、遠野の細越さんというメンバー、私にとって高野さん以外は初対面という旅行であった。メンバーを紹介すると、

細越弦二郎さんは、附六会の細越麟太郎さんの弟さん、外国航空会社を定年退職後、自らの先祖を調べるため遠野に移住した人である。ルーツは南北朝時代(1336〜1392)、後醍醐天皇の命により、熊本の菊池から、南朝軍を率いて遠野の地(細越)に移り住んだ菊池党である。
その歴史については「蒼茫とした北の大地へ」と題し纏められている。
高野さん経由で細越さんからメールCopyを送っていただいたが、歴史的記述の中にも随所に抒情的表現が散りばめられ、さすがお兄さんの麟太郎さんとともに祖父の文学者細越夏村のDNAを受け継いでおられる。細越さんには今回旅行にあたってガイド兼ドライバーをしていただき、すっかりお世話になった。

坂水弘二さんは坂水弘之さんの弟さん。歴史、とりわけ宮沢賢治に関心を持ち博識であった。遠野を有名にした「遠野物語」といえば柳田国男、この話はすべて遠野の人、佐々木喜善からの聞き取りによるものである。柳田の評価に比べ、佐々木が全く評価されていないことに対して、憤慨すること仕切りであった。奇縁といえば、父は坂水さんの父上と旧制山形高校理類の同級生であった。はじめ、父と加賀野のお宅に伺った話などをしたが、坂水さんの菜園の話が、戦後の食糧事情の話しへと発展した。

池嶋さんは地質学が専門、高野さんとは会社の同僚。北上山地の地質、賢治の岩石や地質の研究に関心を持ち、はるばる長野から車でやって来た。かつてチリに駐在されたことがありアタカマ砂漠の話しなどしたが、私が元会社で親しくお付き合いいただいた技術担当役員Kさん(故人、膵臓がんで死亡、そのことはeーたわごと(47)に書いた)とは大学からの友人、呑み友達と知ってから距離が縮まった。

そして高野善夫さん。高野さんとは、靖国と南部藩ツアーの打ち合せの名目で呑んだとき、賜松園と菊池金吾の話しから、ドナルドキーン著の明治天皇⇒南北朝時代⇒後醍醐天皇⇒菊池党⇒遠野⇒細越さんの話しへと発展したのが、そもそものツアーの動機でもあった。博覧強記にして気配りする人で、今回旅行の肝いりに相応しい人であった。

2泊3日の旅行では、どんど晴れの夏美さんがきゃっぱりした河童淵などの観光地へも行ったが、どちらかといえば歴史遺跡探訪のツアーであった。私にとって、このツアーの最大の収穫は、4人の仲間が出来たことであった。
(9・4)

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