e−たわごと No.395

投稿日 2008/02/29  いわてテニス事始 余話
寄稿者 八柳修之

たわごとNo.390で、毎年5月のゴールデンウイークに開催される市民体育大会のテニス中学生女子の部で、南部・高松組が優勝。「南部のお姫さま優勝」という記事が新聞に出たこと。岩手県でテニスコートが始めてつくられたのは南部邸であったことを記した。その後の調査や岩手県テニス協会から送られてきた資料によって、一部訂正、補足さねばならぬことが出てきた。

前者であるが、なんとわざわざ波多野さんが図書館に出向き岩手日報保存版を調べてくれました。まずもって波多野さんに感謝します。新聞記事の内容の一部が田口さんからメールで送られて来ました。以下紹介します。
「第四回盛岡市体育祭は5月3日午前7時半、杜陵小学校に集合した4千人の役員、選手によって幕を開いた。ボーイスカウトを先頭に国鉄ブラスバンドの行進曲に歩調を合わせて目抜き通りを行進して岩手公園広場に入り君が代斉唱、日章旗掲揚とあって開会式、大会長あいさつ、選手代表の宣言等あって左記の功労12選手を表彰(12選手名は省略するも、この中に工藤祐信選手 オスロオリンピック大会1500メートル第15位もあった)
市民歌と若い力を合唱して閉会、公園内のボクシングと軟式テニスをはじめ市内13会場で各種競技を展開した。・・・(中略)・・・

軟式庭球 中学生女子準決勝 桑山・沢口(下中)3対0 柳沢・高松(附属)
     南部・深沢(附属)3対2 紀・黒沼(下中)
  決勝 南部・深沢(附属)3対2 桑山・沢口(下中)
     中学男子準決勝 福井・加藤(下橋)3対0 岡田・竹生(附属)

南部さんのパートナーは高松さんでなく、南部さんの記憶どおり深沢祥子さんでした。深沢さんは不幸にも若くしてお亡くなりになられました。
また、南部のお姫様優勝の見出しはありませんでした。私の記憶違いなのか、あるいは優勝という記憶を美化したからでしょうか。

南部さんによると、「私はネットの前に立っていただけで、優勝は深沢さんの華麗な動きによる勝利」と謙遜されていますが、週末の午前中は家族でテニスを楽しんでいたとのことですので、実力はあったと思います。コートは岩山に上る途中の水道局のテニスコートであったとのこと。確かに岩山に登る途中、左手に金網を廻らした三田さんの火薬庫を過ぎ、上り詰めた所から右折して急坂となる角に貯水池がありテニスコートがあった。なんとなく近づきがたい雰囲気ではあったが。

次なること。岩手での初めての南部邸内のテニスコート、写真を見た南部さんによると、そのテニスコートは、現在、芝生になっている池の前の庭にあったとのことです。
ところで、たわごとNo.390で南部邸内につくられたテニスコートは岩手初めてのものである。と紹介しました。(出典:時代の光景 旧盛岡藩主南部家のアルバムから 旧盛岡藩士桑田著)
この記事の裏をとるべく、岩手県テニス協会に照会したところ、なしのつぶてと書きました。まさか、イワヤマを見たからではないでしょうが、その後、協会の若い女性(多分)から返事がありました。あまりよく分らないとのことで、「岩手スポーツ五十年史」(昭和44年 岩手県体育協会発行)庭球の部のコピーが送られてきました。

それによると「岩手の硬式庭球の草分けはなんといっても太田の素封家佐々木休次郎と舘沢繁次郎である。大正末期に2人で庭球コートを造り、大いに岩手の庭球界に貢献したことはあまり知られていないと思う。そのころは県内ではもちろん盛岡市内でも硬式庭球をやっているところはなく、軟式庭球がデビスカップ戦に採用されていたと思っている人が多かった時代である」とあった。

今はテニスといえば、硬式に決まっているが、初めて硬式テニスをしたという太田の素封家佐々木休次郎と舘沢繁次郎は、一体どんな人なのか気になった。
民間情報局の田口さんに尋ねたところ、答えは直ぐに返ってきた。
「太田の舘沢さんと言えば、誰でも知っている富豪のお家柄ですよ。近くは袰岩さんのお姉さまの嫁ぎ先、この舘沢さんは私がまだ研究途中の盛岡の音楽史における太田カルテットの創設者です。いろいろとエピソードがあって鈴木彦次郎さんも登場します。・・・」と。
梅本万理子さんが、以前、同級会で話していた「太田のおんちゃん」とは舘沢繁次郎のことかなぁ?。話は意外な方面に発展しそうである。田口さんの「盛岡の音楽史」の研究に期待しましょう。
(八柳)

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