e−たわごと No.401

投稿日 2008/05/11  引越しは家の歴史
寄稿者 八柳修之

鈴木(南部)淑子さんのメールです。一部引用させていただきます。
ごく最近、インド大使夫妻のお招きで、今はインド大使公邸になっている生家を65年振りに訪れました。リフォームしてはあるものの、外観も玄関に続く階段の手すり、床の寄木もそのまま残してあり、懐かしさでいっぱい。そして、何よりも古いものを出来る限り残してくれた関係者への感謝の気持が綴られたものでした。65年ぶりということは、5歳のときの記憶である。その記憶力には驚く。建物がまだ残り使われているというのは、我々庶民の木造家屋とは違って、コンクリート・石造りの洋館であるからでもあろう。グーグルで検索したが公邸の写真は見つからなかった。
南部家は幕末まで桜田に上屋敷(現日比谷公園)、麻布南部坂に下屋敷(現在、有栖川宮記念公園)があり、四谷にも別邸があった。徳川方であった南部家は維新後、神田区西小川町に、明治23年には麹町区富士見町(現白百合学園)に移転している。その後、千駄ヶ谷に仮偶、昭和2年11月、戸塚(西早稲田馬場口の辺り、以前は戸塚源兵衛といったようだ)に、敷地面積1万坪、建坪200坪の邸宅を建築、その後、昭和16年12月、戸塚の邸宅を売り払って千駄ヶ谷の邸宅に再び移っている。
(出典:「時代の光景」旧盛岡藩士桑田)

貴人の引越しは、家康のお国替えに見られるごとく、時の権力者の意向に左右される。我々庶民、サラリーマンであれば会社の意向による転勤である。
附属は転勤族の子弟が多かったから、引越しを何度も経験した人が多かろう。自分が生まれ育った所、親元を離れ進学、就職、結婚、転勤、自分自身の家を持つまで、それぞれに思い出があり自分史がある。

私の場合は、学校へ上がる前まで金沢、小学校から高校まで盛岡、浪人から大学卒業まで下北沢の下宿(これは奇縁だが、娘さんが淑子さんと学習院の同級生だった)、就職し独身時代を武蔵小杉、赤坂、赤堤の独身寮、兄弟で代田に、父が退官してから大岡山、鎌倉に、結婚して豊玉、祖師ヶ谷大蔵の社宅、自分の家を横浜栄区に持ったのも束の間、ブエノスアイレス転勤、銀行を退職し石油開発会社へ転職、退職、そして子供の独立、現在は藤沢にマンション住まい。こうやって思い出してみると、あちこち引越ししたようであるが、転勤は大阪と海外しかない職場であったから、まだ少ない方である。

とりわけ思い出に残る家は金沢と盛岡である。昭和45年、新婚旅行で金沢へ行ったときに生家を訪ねたがまだそのままあった。その家は金沢のエイコちゃんのメールでは、もう無いとのことであった。(2001年12月、e-たわごと(57))
一番長く住んだ盛岡の東安庭の官舎、山中さんが毎年のように写真とともにその様子を知らせてくれた。平成13年3月、整理統合廃止となり官舎は取り壊され、用地は民間に払い下げられた。試験場の本館は石造りであり、門(かど)に住む山中さんが中心となって保存の運動もしたと聞いたが、同年8月、火災で焼失してしまった。山中さんは払い下げに至る経緯や火災の新聞記事などこまめに送って来てくれた。山中さんという人はそういう人であった。
 
昭和7年建築の盛岡試験地本館 平成10年11月撮影
 
本屋へ行くと、「自分史」を綴る本がある。上覧が年表になっており、下欄に自分の記録を書き込むだけの簡単なものである。例えば中学校1年のとき、何月にどんな事件があったとか、その年の流行語、ラジオ、映画、TV、コマーシャル、流行、スポーツ、流行歌、物価、物故者などの記述があるから、読んでいるだけでも面白い。私が買った「超自分史ガイド」の著者野口悠紀雄は「ノスタルジーの世界への時間旅行」と述べている。
喜寿を迎えたみなさん、これまで70年のことを振り返って、記録してみるのもよいでしょう。記録しないと何も残りません。
(5・11八柳)

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