e−たわごと No.405

投稿日 2008/07/30  つぐみとひばり
寄稿者 八柳修之

つぐみとは、不出世のタンゴ歌手、カルロス・ガルデルのあだ名、人気の絶頂期、1935年6月24日、44歳の若さで飛行機事故で帰らぬ人となった。
現在でもなおタンゴ界の偶像、アルゼンチンの国民的英雄である。彼の死後、ガルデルを超えるタンゴ歌手はいない。つぐみというあだ名がついたのは、夏には欧米へ、冬になると南のアルゼンチンへと帰って来るガルデルの演奏活動生活に由来するものである。

ひばりとは、いうまでもなく日本の国民的人気歌手、美空ひばり。平成元年(1989年)6月24日、52歳の若さで亡くなっている。
二人の大歌手が偶然にも同じ6月24日の世を去ったことをテーマにしたタンゴがある。作詞はタンゴ界屈指の詩人、エクトル・ネグロ、原曲の歌い手は、わが国、最後の歌い手、阿保郁夫である。日本では聞くことはできないが、本場、ブエノスアイレスのタンゴ小屋では聞くことができる。

歌詞の内容は大略次のとおりである。
前半はガルデルの生涯について。後半は、日本でも一羽の小鳥、歌うひばりが生まれ成長した。決して飛ぶことをやめず、翼にはいつも歌声をのせ、遙か彼の地の空に、ひばりが暮らしていた。だが、またもや惨酷な衝撃が6月に起こった。天国でひばりとつぐみの歌を天使達が聞いているだろう。ラプラタ河から日本まで その歌声は天を駆けるだろう。そこにはもう 死も沈黙もあり得ないのだ・・・

ひばりは昭和12年(1937)生れ、我々と同世代である。横浜市磯子区滝頭の魚屋の娘であった。笠置シズ子の物まね、子供らしくないと酷評もされた。「ひばりを語ることは戦後を語ることだ」と作家の本田靖春は言っている。戦後という時代を語るキーワードでもある。
親愛なる友、阿保郁夫は、演歌、とりわけ美空ひばりは嫌いだと言っていたが、ひばりの歌唱力は素晴らしいという。私も、ひばりというか歌謡曲は好きではない。しかし、ひばりが晩年歌った「川の流れのように」を聞くとは何故か、涙さえ出る。おそらく、ひばりの短い生涯と重ね合わせるからであろう。

グーグルで調べてみると、ひばりが育った龍頭の近くに掘割川という川が流れていることが分った。ひばりが子供のころ見て育った川、なんの変哲もない川であることは最初から分っていたが、行って確かめてみたいと思った。
晩年、ひばりが「川の流れのように」を歌うとき、子供のころ見た川を思い出したのに違いないと思って・・・ 案の定、女房に半分呆れ顔で見送られた。

根岸駅から磯子の方面へ本牧通りを20分ほど歩くと、八幡橋という掘割川に架かる橋に出た。川は想像していたよりも川幅が広く、水も綺麗であった。上げ潮なのか水は淀んでいた。さらに河口、海まで行ってみることにした。途中、川べりで釣りをしていた親子がいた。はぜが釣れるという。河口付近は会員制のヨットハーバーで鉄柵が廻らしてあり中に入ることはできず、残念ながら引き返した。
帰宅し、ネットで「川の流れのように」を検索し聞いた。歌詞を改めて読み返すと、70歳を過ぎた自分の道でもあるようだった。
 

掘割川  八幡橋付近から河口を望む
 
 
「川の流れのように」    秋元 康作詞  見学 章作曲
知らず知らず 歩いてきた 細く長いこの道
振り返れば 遙か遠く 故郷が見える
でこぼこ道や 曲がりくねった道
地図さえない それもまた人生
ああ 川の流れのように ゆるかに
いくつも 時代は過ぎて
ああ 川のながれのように とめどなく
空が黄昏に染まるだけ

生きることは 旅すること 終わりのないこのみち道
愛する人 そばに連れて 夢 探しながら
雨に降られて ぬかるんだ道でも
いつかは また 晴れる日がくるから
ああ 川に流れのように おだやかに
この身を まかせたい
ああ 川の流れのように 移りゆく
季節 雪どけを待ちながら
ああ 川の流れのように おだやかに
この身を まかせたい
ああ 川の流れのように いつまでも
青いせせらぎを 聞きながら
 

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