ノンジャンル No.058

投稿日 2006/03/30  君はセレブで、わしゃホームレス
寄稿者 吉田一彦

 数年前に、かってマッカーサーのGHQの司令部が入っていた、お堀端の第一生命ビルで私が同社の顧問をしている頃の話である。
 各省、政府系金融機関からの天下り7〜8人が入っている顧問室に、女性秘書が名刺を持って入ってきた。(吉田顧問、この方がお目にかかりたいそうです)
別に、アポイントもないのにと思いながら名刺を見ると、NHKの『プロジェクトX』の女性のOプロデューサーであった。(どうぞ通してください)。

 部屋に入ってきた彼女を見て、私は吃驚した。私のタイプの中年の美人であった。部屋にいた顧問たちも驚いて、視線がいっせいに彼女に向けられた。
私は、こんな美女を彼らにただで眺めさせておくのはもったいないと考えたので、部屋を出て隣の『東京會舘』の1Fの喫茶室に案内した。何とかという高いコーヒーを無理して注文し、コーヒーをすすりながら詳細な用件を聞いた。
「実はねえ、今度プロジェクトXで女子機会均等法の誕生の経緯を製作しようと企画してるんですが、昨日労働省のOBのS理事長さんにお目にかかったらこの雑誌をいただいて、読んでみたらこんな面白い記事が出てきましてねえー」

そういってサインペンで、赤く塗りつぶしたページを私の目の前に差し出した。それは、かって私が書いて女性関係のある団体の雑誌に寄贈したものであった。プロジェクトXは、皆さんもご存知だと思うが、中島みゆきの『地上の星』の主題歌でも有名になった番組で、よくわからないが、何か問題があって2005 年の12月28日をもって放送を中止したNHKの看板番組である。さて、その雑誌の記事の内容だが、手元にいくら探しても現物がないので、正確には書けないが、私の記憶をたどれば、大要次のようなものである。

「婦人機会均等法が総評の婦人部隊の猛烈な反対で『婦人少年問題審議会』の審議も中断し、再開も出来ないような窮地に陥ったことがある。赤松(良子)局長も大変弱気になり、どうしても法案の調整が出来ず、投げ出そうとした寸前のことである。その頃、私(吉田)が審議会の会長藤田タキ先生(彼女は、山川菊栄の次の婦人少年局長、津田塾の学長、市川房枝の次に日本で女性で二番目に勲一等を受賞された方)の東中野のご自宅に説明(これはいつも私の仕事)に行った時に、帰り際に先生は、沢山の桜の花の咲いた枝の大きな束を私に渡して「これを赤松局長に渡して頂戴。この桜は、津田塾の校庭に咲いていたものです。これを見て頑張ってくださいと、赤松さんに伝えて下さいといわれた。私は、こんな大きな花束を持っては電車では帰れず、大枚をはたいでタクシーで霞が関まで帰り、桜の花を局長に渡した(昔は、女性が東大に入るためには、必ず津田塾に入ったのである。だから藤田会長は、森山真弓、赤松良子の津田塾での恩師である)」


 ついでに、藤田先生について、もう一つのお話ー

「藤田先生は、晩年足が悪かったので、私がご自宅に訪ねていくと、日本間の古い座り机に座られて、すぐ真向かいに座った私から説明を聞かれた。一度均等法の法案要綱を説明に行ったときに、私より年次が一年下の松原(亘子)企画官(日本で初めての女性の事務次官、今年の初めまでイタリア大使)が私を信用せず、用心して要綱の中身をろくに教えてくれなかったので、私は先生への説明を要綱のペーパーを一字一句読んでごまかした。そのとき喉が渇いていたので、私に出されたお茶を飲んだが、それでも駄目で、声が引っかかった。先生は、心配されて自分の愛用の茶碗に注がれたお茶を私の前に差し出されて(これを飲みなさい)といわれた。私は、偉い先生のでも(ちょっとー)と内心思って躊躇したが、どうしても喉の渇きが治まらず、引っかかるので、目を瞑って一気に先生のお茶碗に注がれてあったお茶を飲んだ」

 さて、NHKのプロデューサーは話を続けた。
「この文章を読んで、面白いと思って、あなたの連絡先を聞いて伺いました。今度『プロジェクトX』で均等法をやるので、今材料を集めているところです。お話を聞かせてください」

 美人プロデューサーは、チャーミングな笑顔を浮かべ、大きな目で私を見た。
「均等法が国会に出されたときに、NHKが報道特集を組んで確か『深窓の攻防』という番組を作ったでしょう。あれはね。当時番組を作るのに松原が協力的ではなくて、やむを得ず、NHKの人達が私の目黒の官舎に2〜3回内緒で集まって、作られたものなんですよ。だけど出来上がったものを見るとちょっとねえ。事実とはちょっと離れていて。『プロジェクトX』という番組は、隠れた真実を伝える番組でしょう。だったら均等法は、確かに表舞台は女性が活躍しましたが、裏では、見えないところでは事務次官や担当の審議官など男性が相当やっているんですよ。それを伝えなくちゃあ。真実とはかけ離れますよ」
私は、男性が活躍した場面を詳細に説明してやった。彼女は、メモを取っていた。

「だけど私だけではなんですから、佐藤ぎん子さん(婦人局長、ケニア大使,現日立製作所取締役)、松原,岩田喜美枝(厚労省局長、現資生堂取締役、ダンナは日銀副総裁)にもあって、話を聞かれたらどうですか」

「そのつもりです。また、ご連絡しますからお会いしてくださいー」
「いつでもどうぞ」
(こんな美人となら私は、いつでも喜んで会いますよ)内心私は思った。

 彼女は、(均等法が出来たのは女性たちの力ばかりではない)という私の説明にだいぶ傾いたように見えた。私もそういう番組になることを期待した。しかし、その後彼女からは、何の連絡もなかった。

 2000年12月19日に『女たちの10年戦争』というタイトルで、放映されたものを見たらやはり女性一色の番組となっていた。Oプロデューサーは、おそらく松原たちに巻き返されたか、それともNHK内部の上司に指示されたかー私は『プロジェクトX』の中止のニュースを見たときに、最初にこのいやな話を思い出した。

 日本で初めての女性の官房長官、大臣、最高裁判事、大使、事務次官ー皆彼女たちは金ぴかの『セレブ』であるー


 さて、まだあるぞ。タイトルの『わしゃホームレス』とは、誰のこと?
私(吉田)のこと。勿論、本当のホームレスではないけど、それに近い人ー

ーあるとき、こんなことがありました。

 明治大学のラグビー部が名将北島監督に率いられ、天下を取り続けていたとき,12月はじめの早明戦の切符を取るために、私は、渋谷のプレイガイドの前の路上に徹夜で並んでいました。近くの飲み屋からダンボールを拾ってきて、その上にダウンのはいった寝袋を広げて、中に入り寒さをしのぎながら寝てましたら、二人の金髪の外人の 女性が私達の列をホームレスと間違えて、ボランティアで(皆さん生きていれば、必ずいいこともありますからガンバッテ下さいね)とたどたどしい日本語で叫びながらおにぎりを恵んでくれました。このときは私も本当のホームレスになったような気がして、お腹がすいていたので(サンキューベリーマッチ)と宮古訛りの英語で感謝しながら、刑務所で出るような粗末なのりの巻いてない、梅干の入ったおにぎりをぼそぼそと食べました。


ー私は、腐っても男。
セレブな女性たちに頭を下げて、助けてくださいとはー『男の沽券にかけても絶対にいえませんよね』ー

 セレブな女たちは、そんな男は見てみぬふりをして、今日も颯爽とどこかに飛んでいきました。

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