ノンジャンル No.066

投稿日 2006/05/15  『附中会』の身胸で癒されて 戦場『霞ヶ関』
寄稿者 吉田一彦

  序にかえて

      ―加賀野あたりから『附中会』へ―

  

 私は、岩手での学生生活は、宮古小学校で6年、宮古一中で2年、附中で1年、盛岡一高で3年送らせてもらった。
 今になって振り返ってみると、
一番印象の深いのは、皮肉にも在学年数の一番短い附中での生活である。
(附中に転校したときには、勉学についてのハンデーはさほど感じなかった。ただ、カルチャーショックは相当のものがあった。    
 私は、岩手県出身の本省の課長級以上の会『岩手霞ヶ関会』で2,3人の歴代の岩手県の知事さんに沿岸地方の開発投資の必要性について意見を述べてきたが、聞き入れられなかった。
 やっと今年から沿岸地方の格差是正についてのプロジェクトチームを作って県も本腰を入れてこの問題の解決に乗り出したようである。遅きに失したが、やらないよりはましか・・・・・  
 皆さんもご存知だと思うが、沿岸の宮古地方には、あなたが香港で注文される超高価なあわび料理の『干しあわび』、日本ナンバーワンとテレビの料理番組でも評価の高い干ししいたけの『花どんこ』、京都産のまつたけが出てくる前に東京の市場を席巻する『まつたけ』、東京のオイスターバーで今一番人気の『生かき』などの世界的、全国レベルのブランドや日本で一番歴史の古い『水産高校』がある。
 それにこの5月には環境省の『海水浴場百選』の全国12の特選の1つに選定された『浄土ヶ浜海水浴場』他『女遊戸(おなつぺ)』、『真崎』の二つの海水浴場も百選に入った。
 しかし、私に言わせれば残念ながら盛岡から宮古へのアクセスが整備されてないためこれらの観光資源は宝の持ち腐れである。  
 盛岡から宮古まで100キロ、これに現在のように2時間もかかっていたのではお話にならない。高速を通せば半分の時間で行けるのに何の手も打ってないのである。
 県民の幸せを測定するメルクマールの一つは私は『県民所得』だと考えている。これらの宮古地区の資源は、沿岸地区だけではなく、全国で下位に位置する『県民所得』の岩手県全体のレベルアップを図るための大切なシーズだと県当局も頭を切り替えるべきである。
 50年以上もかかっているようではお話にならない。21世紀の指導概念は、20世紀の効率性(コスト)ではなくて行政の場合でも『アジル(俊敏性)』である。)

 
 
附中が一番なのはなぜなのかと考えてみると、加賀野での生活のほかに、北海道への修学旅行、冬凍った道を下宿先の上田から自転車で通学し、よく四ツ家の地蔵さんの辺りでひっくり返って転んだこと、憧れの二高の制服を着たお姉さん達(3月に開催された甲子園の選抜高校野球大会の開会式と閉会式の司会を務めた盛岡二高の甲斐谷望さんが着ていたあの制服ですよ・・・)を見て思わず赤面し下を向いたことなど数々の理由はあるが、それよりも何よりも『附中会』の存在が大きいようだ。


 一高にもファイヤーストームや土人踊り、今年も5月13日にやったようだが運動会の仮装行列(私のクラスは校長先生の葬式をやり、確か私は校長先生の未亡人をやりました。金谷さん、そうでしたね。彼女は、盛岡一高で3年時同じクラス。美人で近づけず、それに『男子たるもの女子と口をきくべからず』との悪魔の呪いを信じていた私は、『附中会』でお会いするまで彼女とは一度も口をきいたことなし。彼女と口がきけるようになったのも『附中会』の効用か)など思い出深いイベントや大きな組織のOB会もあるが、なぜか附中よりも格段に印象が薄い。
 
 それは一高の生活が受験勉強一点張りの生活だったからか。いや、私の場合はそうじゃない。
 私は、3年生の時にはなぜか精神的に突然乱れて、受験が目前に迫って皆さんがねじり鉢巻をして机に向かっているというのに、アンダーラインを「消しゴム」で必死に消しては、『上の橋』の袂にあった古本屋に辞書や参考書を叩き売っては、本町の国際劇場で上映されているフィツジェラルドの『雨の朝パリに死す(The Last Time Isaw Paris) 』のヴアン・ジョンソンとエリザベステイラーが演じた哀愁のロマンス映画などばかりに現を抜かしていたというのにである。
 
 私が『附中会』に出るようになったのは、渋谷界隈で初めての高層ビル、東邦生命ビルのレストランでの会合以来である。
 あれは、何年ごろだったろうか。卒業以来本当に久しぶりに会う同級生の皆さんの顔を見て、胸がときめいた―――私はその日のことを忘れない。卒業以来、闇の中を迷走していた私が皆さんの前に初めて登場した瞬間だったから―――
 
 爾来、もう何十回この会に出席しただろうか。盛岡、繋、花巻、東京六本木、横浜の各地、熱海色んなところで開かれた会に出席させてもらった。そして(吉田は、皆勤賞だ)とお褒めの言葉をいただいたこともある。
 
この間、幹事を務められた山中さん、田口さん、そして在京の会の高橋さん、工藤さん 、三舟さん、大野さん達のご苦労には本当に感謝してます。

 『附中会』では、私は、毎回同じように、出席者の顔を見て、お酒を飲んで、料理を食べ、世間話を交わした程度である。
 私が過日『ノンジャンル』に書いたような入れ込んだややこしい話をしたわけではない。
 ただ、飲んでなんとなくハイになって、わいわいするそんな会である。私は、それでいい、充分だと思う。

 この会に出席して、会から得るインパクトは、人それぞれであろう。
 
私が『附中会』から受けた最大のプレゼントは『癒し』だ。
 
 毎日の仕事で、傷ついて、倒れても、この会に出ると不思議に、どんなに深い傷でもすぐに癒され、立ち直れるのである。―――

 
 
『私にはたった一年の学生生活だったけど、附中時代の面影をかすかに残したあなたの元気な顔を見るだけで・・・・・・・』

 
 『附中会』があったから、私は、『霞ヶ関』という殺伐としたどろどろとした戦場の中で戦死もせず、最後まで戦い続けることが出来たのだ!!

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