ノンジャンル No.070

投稿日 2006/06/08  [PART3] 頭脳
寄稿者 吉田一彦

 政府の最終的な法律の解釈、立法審査の権限を握っているのは、内閣法制局である。
 ここの職員は、各省からの出向者が大半で、皆法律の専門家であり、法解釈はもとよりのこと、立法についての審査も想像を絶するほど厳格である。
 
 普通、法律を作るときは、まず、省内の官房総務課で法律担当の総務課事務官の審査を受け、それが終わると内閣法制局の審査に持ち込むのだが、『労働安全衛生法』は、異例の措置として、官房総務課の法令審査を省略して、直接内閣法制局に持ち込んだ。
 審査の担当は、
N参事官。この方は、検事の出身で、法務省で言えば課長クラス。
 審査を受けるのは、法律担当の課長補佐以上であったが、私の上司の補佐は、手が離せない仕事が立て込んでいたので、隣の課長補佐を形式的な並び大名にして、
実質的には私が審査を受けた。
 これは、労働省の官房の審査より数倍も厳格な審査であって、
例えば、条文の中に「は」という文字を加えるかどうかで一日一杯かかったこともある。
 朝から晩まで行われる『労働安全衛生法』の審査は、20日以上もかかったような気がする。

 当時私の上司であった、
[PART2]で紹介したK部長は、よく話の中で以下のようなことを口にしていた。
「私がよく出来た条文だと思っているのは、『労働災害防止団体等に関する法律』(以下『災防法』と略称)に規定されている建設業などの重層下請け関係を規定した条文だな。この条文は、難解だが、よく出来ているよ。これは元次官で私が最も尊敬しているIさんのご親筆だそうだけど、頭のいいIさんの傑作中の傑作だな」
 I元次官は、数代前の次官で労働省ではもっとも頭のよい名次官の一人といわれていた。
 K部長と体形も行政の手法も似たような先輩で、K部長は何かにつけI氏を自分の鏡にしているようなところがあった。
 さて、
このK部長の言うよく出来た条文を『労働安全衛生法』を作るときに、すっぽりとそのまま新法の第15条として移し変えたのである。
 
 第15条のこの条文の審査のときに、
 私が
「この条文は、災防法から一部移し替えた条文であり、重層下請け関係にある建設業や造船業の災害を防止するために必要な条文です」
 と説明し、
現行の法律からそっくりそのまま移した条文だからフリーパスだと思った。
 しかし、N参事官は、そのまま鵜呑みにしなかった。条文の記述を盛んに図に書いて、N参事官はしきりに考え込んでいた。
「吉田君、この条文には穴があるよ」
 私は、飛び上がるほどびっくりして、K部長の顔がすぐに浮かんだ。そんなはずはないでしょう。
 私はN参事官が図示したものを基にいろいろと参事官に質問し、現行の条文を正当化する方向で抵抗した。
 しかし、そこには私も認めざるを得ない法文上の欠陥があった。
「吉田君、これをどのように書き換えるか考えてくれ」
 その場で、私は頭をひねって、いくつかの案文を書き出し、参事官に提案したが、すべて不合格。
 いつの間にか深夜になり、この日の審査は終了した。
この問題は、
明日までの宿題として私に課せられた。
 労働省に戻り、いろいろと考えたが、ダメで、家に帰ってからも考えてみたが穴を完全にふさぐような条文をどうしても書けないのである――――恥ずかしいけど、どうしようもない・・・・・
 
 翌日、N参事官は、
「吉田君できたかい?」
 催促されたが、私がもじもじしてると・・・・・
「これではどうだろう」
 と言って真っ白い紙に書いたN参事官ご親筆の条文を私に見せてくれた。
完璧な条文であった。私は降参した。
 
『労働安全衛生法』第15条の条文である。
(頭のいい人には、上には上があるもんだ)
と私は思った。
 この方は、その後、法制局から出身庁の検察庁に戻り、最終ポストは、東京高等検察庁の検事長、最高検察庁の検事総長に次ぐ、検察庁でbQのポストまでのぼりつめた。


 昭和63年にリクルート事件が発生した。政界ルート、官界ルートの贈収賄事件であり、労働省も巻き込まれ、加藤事務次官、鹿野課長が逮捕された事件である。
 加藤次官は、『春爛漫』で書いたように私の新潟時代、労働省の労政局時代の直接の上司であり、鹿野課長は、仙台の出身で、同じ東北のよしみで、私の引越しのときなどに奥さんにも手伝ってもらった間柄である。
 その当時、私は、国鉄清算事業団に労働省から出向中で、当時の運輸省出身の理事長(元運輸次官、国鉄総裁、後に全日空会長)に
「労働省は何をやってるんだ。君もかんでいないだろうな―――」
 といわれ、私はぶちきれて、それ以来理事長とは口をきかなかった(その当時の運輸省の服部事務次官もその何年か後に、関西空港事件で逮捕されている)。
 こうした大事件のときは、検察庁も検察首脳会議(メンバーは、検事総長、東京高検検事長、東京地検の検事正、特捜部長など)を開いて、対処方針を固めるのが通例である。そのときの新聞に掲載された記事には、勿論N氏の名前も載っていた。
 

 それから5年ぐらいたって、『労働安全衛生法』の20周年記念の会が当時お互いに苦労した仲間内でささやかに開かれた。
 これには、私も出席したが、既に検事を退官され、弁護士となっておられたN氏も顔を出してくれた。
 K部長とN氏と私と当時の苦労話をしていたが、何かの拍子に労働省のリクルート事件に話が及びN氏が
「鹿野君(故人)は・・・・・・・・・・・・・・・」
 これ以上の記述は、残念ながらここでは出来ないが―――
 
 
私は、『労働安全衛生法』をめぐって、なんと不思議なめぐりあわせだろうと思いながら、鹿野課長の温厚な顔を思い浮かべて、ほろ苦い水割りをいっきに口に流し込んだ。
[PART3]完

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