ノンジャンル No.078

投稿日 2006/07/08  終わりに −『附中会』の身胸は・・・・・−
寄稿者 吉田一彦

  T 幹事(山中、田口)さんへのWILL(遺言)

 中央省庁等改革により労働省と厚生省が統合されて平成13年1月6日から厚生労働省となり、私が勤めていた労働省の『労政局』が廃止された。
 この局は、労働省の筆頭局として、半世紀の間、わが国の労使関係の安定のため寄与した局であり、局長は、次官昇格への待ちポストでもあった。
 そこで、澤田陽太郎労政局長(彼は労政課での私の後任。私大、慶応の経済でありながら旧労働省の出身者で初めて厚生労働省事務次官に就任)の音頭で、記念の記録を残すこととなり、
『労政局の軌跡』が発刊されることとなった(日本労働協会から有料で頒布された)。
 労働省の幹部となって活躍したOBは、ほとんどがこの局で勤務しており、歴代の局長、審議官、課長が寄稿を依頼され、私もその一員になって
『労働省労政局の廃止によせて』という拙文を綴った(諸先輩が共同の執筆者となって監視しており、間違ったことは書けない)。
 私は、この本が刊行された
平成12年の末に私の拙文のコピーを盛岡の幹事、山中さんと田口さんにお送りした。
 私は何のために送付したのか。

 
それは、私が死んだ後に、『附中会』のこの間でたような記念誌がもしも作られた場合(可能性は小さいだろうけど)には、その記念誌にこのコピーを掲載して欲しいと思ったから・・・・・
 
だって、寂しいじゃないですか!!!―――そのときに自分の書いたものが掲載されていないと・・・・・・
 そして、生きている間は、たとえ一部であっても自分のやった仕事のことは皆さんに伝えるべきではない、そんな気持を私は当時から抱いていた。

 だから昨年の在京の『附中会』に
田口さんがお見えになって、
「一彦さん、もうあれオープンにしていいですか?」
とおっしゃるので、
「駄目です。私が死んでからにしてください!!!」
と申し上げたのに、今回の『戦場 霞が関』に、そのコピーの内容の一部が披露されて・・・田口さんごめんなさい。
 コピー自体の記念誌への掲載は今までどうりお願いするとしても、ああ、自分のやってきた仕事のことを前言を翻して生きてる間に披露してしまって・・・
   
 
なぜ私は、心変わりしたのでしょうか。
 
自分にもよく分からないけど・・・・昨年の6月から小説を書くようになってから私の心の内面に裸というか、バリアーがなくなったことが一つ。
 それに、相手がどう受け止めようと、自分で面白いと思ったことを自分以外の人に伝えようとすれば、自分の体験は、どうしても持ち出さざるを得ないということに今頃になって気がついたのです。
 いや、ありていに言えば、私が人間的に脆弱だったかも知れませんね。

 
 
  
U 『附中会』に対する私のスタンス

 平成5年6月に、私は志し半ばにして、戦場霞ヶ関で討ち死にした
(当時はポリシィーとして官が国家を引っ張っていく時代であったので、大きな責任を感じ、やりがいもあり、気合も入って、霞ヶ関は、私にはこの上ない楽しい戦場であった)。 だったら私にはもう『附中会』は必要ないのであろうか?
 
 私は、まだ自分では、若いと思っている。ただ、一方では前にも記述したようにあのハワイの一枚の写真(ビキニの金髪の少女達とワイキキの浜辺で写した私の水着姿の写真)で胸の筋肉のたるみを見て初めて自分の老いを悟っている。
 さらに最近では、こんなことがあった。
 田口さんよりいただいたジャズのCD(宮古出身のジャズピアニスト本田竹広の『ふるさと』)を録音して持ち歩こうと思って、『デジタルオーディオプレイヤー』を買いに有楽町の大きな電気店に行った。
 その店で一番売れていると表示のある商品を買って家に帰ったのだが、そのライターぐらいの大きさのプレイヤーのデスプレーの字がメガネをかけ、さらに虫眼鏡を当ててみても見えず、操作にも俊敏性が必要なのである。
 つまり若者でなければこのプレイヤーは使いこなせないのであるが、
これでまた自分が老人だったことを私は思い知らされた。
(それでも、めげずにB´zやミスターチルドレンの曲は入れないけど、本田のジャズや最近はまってる長山洋子のCDを渋谷のTSUTAYAからレンタルし、エンコードして通勤の行き来に電車の中で聞いてます。
本田の『月の砂漠』や山の『じょんから女節』、『花巻の女』、『遠野物語』はいいですよ。それに真っ青な空のサンフランシスコのフィッシャーマンズワーフで聞いた思い出のアンデスミュージックの『RAYMI』。この間も聞きほれてうっかりして電車を乗り越しました)

 若いときは、不安な気持ちなど私は持ったことはなかった。
 
しかし、これから先、国家の破産や年金が崩壊の危機に陥り、若い人口が急激に減少し、農業の危機や環境の破壊が叫ばれ、世の中がさらにいっそう急速に変化していく。
 
国家は、なすすべを知らず右往左往するだろう。セイフティネットは、ずだずだにされ、国家は頼りにならず、自分自らを自分が守らなければならない時代になっていくだろう。
 しかも社会には、強力な
エイジングの猛毒が隅々にまで散布されている。もがいてももがいても力の弱い老人はそこから容易に脱却出来ない。何しろアンチエイジングという言葉があってもその言葉を検索してみれば、皮膚の若さを保つという程度の意味しか持たせないそんななさけない世の中である。
 
これは、単なるぺシミズムや幻想ではない。沢山の有識者の方が指摘する日本のこれからの現実なのである。
 懸命な皆さんは、既にこんな世の中になることを予想され充分準備も整っておられるのだろう。しかし、私には、耐えられるか。不安は尽きない。
 
そんな弱い私を『附中会』には、まだまだ癒していただかなければならないと思ってます。
 
 私は、先般、『附中会』をモデルにした小説の下書きを書いた。
 タイトルは
『今日もまた別れの曲が』である。
 同窓の『かもめの会』中心に生きてきた小説の主人公が最後に一人だけ生き残って、毎日ショパンの『別れの曲』を聞きながらコーヒーをすすって孤独に生きているという小説である。
 いかにも寂しい情景ではないか!!!
 今私はこの小説に手を入れて、まずタイトルを『かもめのGOOD BYE』にかえ、
(今『かもめ食堂』という映画がヒットし、あと(かもめ)のつくタイトルの小説も出てきているので、またかえるかもしれない)
ラストシーンももう少し明るいものにしようと思っているが、なかなか良い考えが浮かばない。『かもめの会』そのものをまずどうしたらよいのか、私には分からないのである。
 
 実在の『附中会』に募る思いが益々深まる今日この頃であるというのに本当に情けない私である。
 
 
『附中会』をずっとこれからも存続していただくために、幹事さんや皆さん方の英知に大いにおすがりする私です――
(『附中会』の身胸で癒されて 戦場『霞ヶ関』了)

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