ノンジャンル No.080

投稿日 2006/07/31  Tokyo Station 丸の内北口の攻防
寄稿者 隆宮  暁

−最後の賭け―
 
 私の菩提寺は、M市にある常安寺という曹洞宗の寺である。
 ここの本堂には、ずっと昔、私が子供の頃から一幅の地獄絵図がかけられている。
 今でも私はここを訪れると、もうあの頃から60年以上もたって、今はすっかり黒ずんで、ところどころ色落ちしたこの絵図を必ず見ることにしている。
 たまに、昔の私の場合と同じように、おばあさんがこの絵図の前で子供に何かを教え込んでいる風景に遭遇することもある。
 その絵図には、鉄棒を持った怖い顔をした赤鬼や青鬼が沢山描かれていて、地獄に落ちてきた人が舌をぬかれたり、はりつけや釜茹でにあったりして苦しんでいる様子が色鮮やかに書かれている。
 私は、物心付いた頃、おじいさんに手を引かれて、寺に行くといつもこの絵を見せられ、
「暁(あきら)!!悪いことをするとねえ、地獄というところに落ちて、こんな怖い目にあうんだよ―――」
 と諭された。
 そのたびに私は、強い恐怖心に襲われた。そして大人になっても(決して悪いことはしないようにしよう!!!)と心の奥深くで誓った。


 誰が悪いことをしたかどうかは別にして、こんな怖い地獄絵図にも似た、阿修羅のようなシーンが1987年の3月から1990年の夏ごろまでの約3年間、私の周りに展開されていくのである。

1 度肝をぬくプロバガンダ

 つい最近の6月4日の朝日新聞に一面全部をぶち抜いた(意見告広)が掲載された。
 ごらんになった方もあるかも知れないが、これは、国鉄労働組合が「光と影/ 国鉄民営化から20年目/ 1047名問題、今こそ解決を!」と題して乗せた意見広告である。
 
 意見の趣旨を要約すると、
 「6つの旅客会社と1つの貨物会社になったJRも20年目を迎え、会社も東日本、東海、西日本は、世界有数の鉄道会社となった。・・・・・・しかし、JRを不採用になった1047名問題はいまだに解決しておらず、ILOも解決促進を政府に勧告している。これらの人達の平均年齢は、52歳を超え、既に40人が亡くなった。政府の責任で今こそ解決へ」
 というものである。
 そして、労働法学者の早稲田大学名誉教授 中山和久氏、
京都大学名誉教授片岡 f氏、1047名の人たちのシンボル的な牙城である 北海道音威子府(おといねっぷ)の村長、千見寺正幸氏、IFT(国際運輸労連)書記長デビット・コックロフト氏の4名の意見が掲げられている。
 
 この問題は、20年たった今一般の人達にはもう忘れられているが、彼らのなかでは、意見広告の中にあるように、まだ少しも終わっていないのである。
 
 
2 丸の内北口の鮮やかな再開発
 
 意見広告の案件は、かって東京駅丸の内北口にあった日本国有鉄道清算事業団(国鉄清算事業団と略称)で主として起こった事件である。
 この地一帯は、21世紀に入ると三菱地所などによって再開発され、今では、ホテル、オフィースビル、丸善など大小の商店、レストランなどの入った『オアゾ』などのビルが林立し、二昔前のかっての陰惨な面影はかけらも残ってない。
 かってこの場所の一角には、1920年に出来た鉄道省、その後この役所は1949年6月に運輸省と国鉄に分離され、運輸省が霞が関に移った後、国鉄本社が入居した大きな古ぼけたビルが建っていた。
(公社となった日本国有鉄道の初代の総裁が下山事件で有名な下山定則氏、最後の総裁は、10代目の杉浦喬也氏(初代の国鉄清算事業団理事長)である。私が清算事業団に行った頃は、1949年の分離の際に、国鉄に優秀な職員が沢山残り、それで後々まで国鉄は運輸省の言うことを聞かなくなったというまことしやかな噂が流れていた。)
 その国鉄本社(1987年の4月からはJR東日本本社)の丸ビル側に付設された緑がかったこじんまりとしたビルに先の広告と深いかかわりのある旧国鉄を継承した清算事業団が入っていた。
 この4階か、5階の個室で、私は、現役バリバリでR省から事業団発足時の1987年の4月1日に出向して、3年間、仕事をしていたのである。
 私の部屋の窓からは、パノラマのように東京駅丸の内中央口、丸ビル、新丸ビル、中央郵便局までずっと見渡され、この界隈の風景の四季の微妙な変化も手に取るように分かった。
 
 東京駅から事業団ビル、JR東日本のビルにかけて、舗道は連日のように、沢山の赤い旗がなびき、赤や黄色や白のゼッケン(それには「JRに戻せ」、「不当労働行為を謝罪せよ」、「解雇反対」などと書かれていた)をつけた国労などの組合員のデモ隊、教宣車からはハイトーンのアジ演説が流れ、駅前では覆面で顔を隠した異様なスタイルの人たちがチラシを配り、右翼の街宣車もボリユームを目一杯上げてがなるなど正に緊迫した情景を毎日のようにかもし出していた。
 たまに静かだと思うと、天皇、皇后や来日中の外国の元首が東京駅から汽車にお乗りになるときであったりした。(このときは、道路側は窓を閉めるようにという命令が総務からくるのですぐに分かった)
 清算事業団のビルの入り口は、ガードマンなどによって、二重三重の警備が引かれ、職員が中に入るのでさえ厳重にチェックされるなど重々しい雰囲気に包まれていた。
 私は、やがて今情景描写した凄惨な戦いの、日々加速、拡大化していくどす黒い大きな戦いのど真ん中に身を投げ出さざるを得なくなり、怒涛の勢いで巻かれる渦にいつしかすっぽりと吸い込まれていくのである。
(次回へ続く)

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