ノンジャンル No.094

投稿日 2007/04/09  ペットあらかると 亀吉の旦那
寄稿者 吉田一彦

 山中さんからいただいた例の資料によると、松島で附中会が開かれたのは平成12年の10月7日と8日である。
 私は、松島に行ったのは、実に不思議なことにこのときが初めてだったのだが、海岸の割烹着を着たおねえさんの出店で「ミドリガメ」と「ゼニガメ」の小亀2匹を大きな金だらいから選りすぐって買った。
 帰りは、皆と一人だけはぐれ少し寂しい気持ちになりながら、亀の入った小さな水槽のプラスチックの箱をぶら下げ、仙台の繁華街の小さな食堂に行き当たりばったりに入った。そこで水槽を足元において3センチぐらいの小さな体の割にはがたがた体以上に動き回る亀の元気な音を聞きながら昼食のラーメンをすすった。なんと言うこともない普通のラーメンだったが、昔附中時代に盛岡でよく食べたようなほうれん草の入った実に素朴で昔を思い出させられるような味であった。
 それから仙台駅の地下の商店街をぶらつき、仙台といえば最近はまっている御菓子の白餡、くるみ、フレッシュバターで仕上げた「ふじや千舟 支倉焼」をおみやげに買って新幹線に乗り込んだ。
(その前は仙台といえば、絶対的に「白松がモナカ」であった。これは国鉄に勤めていた盛岡の下宿の親父さんが仙台に出張に行くと買ってきて、初めて食べさせてもらったモナカで、それから好きになった御菓子である。私はもともとモナカが好きで、このあと今も予約でしか買えない、地方発送をしない夏目漱石の「我輩は猫である」に出てくる銀座の「空也のモナカ」、虎屋のこし餡の「梅ケ香」と好みが変わっている。)
 
 その頃私の二番目の独身の妹が肝臓の胆管がんで東京板橋の日大病院に入院しており、私は務めが終わると有楽町の第一生命の本社から毎晩この病院に看病のため通っていた。なにしろこのがんはがんの中でも厄介なタイプで、妹は手術後の容態が思わしくなく、一進一退であった。私は、この妹には、若い頃邪険に扱ったという負い目があり、一途な看病もその償いの気持ちから出たものであったが、残念ながら妹は11月の初めに消え入るように最後のときを迎えた。
 そんなとき、亀のえさを買いに行った新宿の伊勢丹の屋上で一匹の亀を買った。
「そうだこの亀を妹への償いとして育てよう」
その亀は、松島で買った亀と同じ3センチぐらいの大きさのアメリカのフロリダ海岸生まれのキバラガメ(イエロー・ベリー・スライダー)であった。
 私は、この亀を松島から買ってきた2匹と同じ水槽の箱に入れて一生懸命育てた。キバラガメは順調に育っていったが、どういうわけか松島の「ゼニガメ」と「ミドリガメ」は日に日に弱り、1年もしないうちに2匹とも死んでしまった。
 娘達は、この「キバラガメ」にいつしか『亀吉』という名前をつけた(オス、メスの別は分からなかったが私は『亀子』と名前をつけていたのだが、娘達の力に押されていつの間にか改名させられた)。
 
 
 亀吉は7年近くたって写真でごらんのように体長が20センチほどの大きさまで成長した。(娘達が亀の扱いに慣れなかった初めの頃は、私がお盆に宮古に帰るときには新幹線に乗せて宮古まで連れて行った)
 毎朝、365日、5時に起きると私は亀吉の身体に柔らかい布のブラシをかけて洗い、プラスチックの水槽と空気で膨らましたナイロンのフットバス(時間によって使い分ける。亀吉はフットバスのほうが好きのようだ)を綺麗に掃除して朝食のえさを与える。
私が与えるえさは市販のありふれたものであるが、夕食に娘が与えるえさは、デパートの食料品売り場からわざわざ買ってくる私も食べさせてもらえないようなボイルした特選の小エビである。
 春の桜の季節には、旬の釜揚げの桜海老(私は、その季節には虎ノ門の砂場の桜海老のかき揚げの天ぷらそばを食べる)と贅沢三昧をさせている。
 
 
 亀吉は、テレビも好きで見るし、好きな音楽(特に娘達の影響を受け韓流の音楽が大好き)がかかると伸び上がり、娘達に仕込まれて芸達者である。えびのえさをもらうときのもみ手、紙の笛に合わせて面白い音を出すパタパタ、陽だまりに出したときに演じて見せるイナバウアー、今や我が家の人気者である。
 これからもっと芸を仕込んだらいつかどこかのテレビがタレントとして使ってくれないか!!
 我が家も大黒柱の私が老後の不安なときを迎えてこれから「神ダノミ」ならぬ「亀ダノミ」である。
(完)

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