盛岡発 No.005

発信日 2002/12/10  ケニア支援の男性に感謝 子どもたちが記念樹
 (故 大木真一先生)
発信者 田口絢子

ケニア支援の男性に感謝 子どもたちが記念樹


植樹の後「ビッグツリー」を囲む子供たち=今年8月、ケニア西部・マサナ小で、梅原愛雄さん提供
 アフリカのケニア西部の村の小学校の庭に1本の木が植えられた。世界各地の恵まれない子どもたちへの援助に尽くした盛岡市の元教諭故大木真一さんへの感謝を込めて子どもたちが植えた記念樹だ。まだ50センチほどだが、子どもたちは丹精込めて「大きな木」に育てている。

 大木さんは今年5月31日、がんで亡くなった。75歳だった。

 記念樹があるマサナ小を訪ねたのは、一昨年3月。「岩手青年海外協力隊を育てる会」のツアー団長として、県サッカー協会から託されたサッカーボールを届けた。

 「体は小さいけど、私の名前はビッグ・ツリー(大きな木)です」。近隣の小学校からも集まった約千人の子どもたちを前に自己紹介。それまで紙を丸めたボールでサッカーをしていた子どもたちは、本物のボールを渡されて大喜びした。

 マサナ小と近くの小学校には、それまでにも短波ラジオやカレンダーなどの教材を送っていた。

 大木さんは「日本の果たす戦争責任は戦争のない国際社会をつくること」を持論に、小中学校で一貫して平和教育に力を入れてきた。

 「豊かな者が貧しい者に奉仕しならなければならない」。教職を退いた後は、フィリピンの子どもの里親になり、育てる会の活動にも参加。「国境なき医師団」や国連児童基金(ユニセフ)の活動にも取り組んだ。

 92年3月、バングラデシュを視察。帰国後、腎臓にがんが見つかったが、95年3月にはネパールへ、その後もケニアへと飛び回った。国内でも、自らが見聞した各地の貧困や環境破壊を伝える講演を倒れるまで続けた。

 16年間活動をともにした、育てる会の梅原愛雄さん(63)は「虚栄は一切なく、貧しい人に手を差し伸べた。『雨ニモマケズ』の精神で現代の宮沢賢治のようだった」とその死を悼む。

 遠野市出身で、アフリカ各地でかまどの普及活動などをする岸田袈裟さん(59)が、マサナ小に訃報(ふほう)を伝えた。

 8月、岸田さんが行くと、校庭には600人以上が集まった。冥福を祈った後、「大木さんの思い出を」と苗木を植えた。30メートル以上に成長する「プルーナス・アフリカーナ」。子どもたちは大木さんをたたえて作った歌「大木・ザ・ビッグツリー」も披露した。

 岸田さんは「この木と同じように、先生の気持ちは、ケニアの片隅の子どもたちの心の中に根付くでしょう」という。

2002年12月4日付 朝日新聞岩手県版より転載させていただきました)

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