盛岡発 No.006

発信日 2002/12/11  佐々敏さんとの再会、そしてそれから(その1)
発信者 舘澤徳平
昭和45、6年ごろ、とある野球の試合。
二塁に滑り込んできた走者に遊撃手がタッチ。
一瞬顔を見合わせて「あれっ、先生」。「おー、タテサワ君、元気か」。
滑り込んできたのが、佐々木敏夫先生。タッチしたのがわたし。 
当時、わたしは、附中の教員、かれは、上田小の教頭さんだった由
2度目の再会、昭和49年度に岩手大学に附属養護学校が設置されて2年目。
わたしは、そこへ異動、副校長の敏さんが拾ってくれた。
これが、敏さんとの長いお付合いの始まりだった。

 彼は、お酒が好き。
それも、みんなでワイワイ飲むのが大好き。
いつも、仕事が終わると、用務員さんとか残っている職員と労をねぎらって飲み始める。
時々、勢いがついて街に繰り出す。
そして、午前様。
それでも、次の日は、誰よりも早く、本宮から自転車を漕いで出勤。
それが、雨の日も、雪の日も関係なく続く。
 彼のモットーは、「朝まで飲んでも、仕事はキッチリこなせ。きみたちはプロなのだから」。
おかげさまで、いっぱい鍛えられた。

 もう一つの、彼の楽しみは、山歩き。
その話は、また今度。

 
八ヶ岳連峰の主峰、赤岳の頂上(平成3年頃)にて
 
(田口さんに頼まれて、ここまで書いたけど、根気が続かないわたし。
 だいたい、「そしてそれから(その1)」などと、書いたが、プロットを
 作って書き始めた訳じゃなし、その2をいつ書けるかわからない。
 気が向いたら、また書きます。)

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