関東発 No.021

発信日 2004/01/28  七里ヶ浜の哀歌
発信者 八柳修之

八柳さん、絢子ちゃん
表紙の海岸の写真、あれのバックに見えるのは江ノ島?でしょう。
この風景は私の頭の中で、七里が浜の歌と共にあります。
歌詞を忘れたので、インターネットで探したら、音楽付きで出て来ました。
聴いてみて下さい。懐かしいですね。悲しい歌だけど私の大好きな歌です。
一番くらいしか知らなかったけど、長い歌なのですね。 智子

 http://wagesa.cool.ne.jp/music/j-mt/shichirigahama.html

真白き富士の嶺
明治43年1月、神奈川県の七里ガ浜沖で逗子開成中学のボートが沈み、乗っていた生徒12名が全員死亡しました。この曲は当時鎌倉女学校の教師三角錫子が同年2月発表した哀悼歌です。
原曲は明治23年「明治唄歌」に載せられたガートン作曲の「夢の外」です。
 
真白き富士の嶺緑の江ノ島
仰ぎ見るも今は涙
帰らぬ十二の雄々しき魂に
捧げまつる胸と心

以下、6番まであるが略。
「この風景は私の頭の中で、七里が浜の歌と共にあります」という「共」とはなんでしょう。なにか懐かしい想い出があるんでしょうね。
 思い立ったが吉日、今日、小川さんの「想い出」を訪ねて稲村ガ崎まで行って来ました。いささかでも想い出の縁となれはと思います。
 稲村ガ崎は、新田義貞が太刀を海中に投じて竜神に祈り、潮の退いた海岸を渉って鎌倉突入を果たした故事で知られていますが、「七里ガ浜ボート遭難碑」もあるからです。
 岬は東の由比ガ浜と西の七里ガ浜の境界となっており、ここから江ノ島、富士山を眺める景色は絶景、神奈川景勝地50選の一つともなっております。今日は富士山の姿はうっすらと観られましたが、残念ながら写真には現れておりません。
 左側のブロンズ像は、逗子開成校友会が1964年に建てたもので、銘板には「友をかばいあい、兄は弟をその小脇にしっかりとかばいあったままの姿で収容された姿をモチーフとしたもの、愛と犠牲の精神」の賞辞が刻まれていました。
なお、銘板には「真白き富士の」とありました
遭難してから94年の歳月が流れ、1月23日はその命日、誰かが手向けたお花がありました。

 もう1枚の写真は砂浜に下りて撮ったものです。ここは私の思い出の場所です。2,000年10月21日、私がウォーキングの途中、横浜市旭区白根小学校3年生の男の子が、創立120周年に飛ばした白い風船を拾った所でした。あれから3年余、風船を飛ばした子供との文通はまだ続いています。高浜直子さんが童話のネタにすると言っておりましたが、続き話がないと無理なようです。

 4月4日、稲村ガ崎から晴れていれば、沈み行く太陽と富士山頂とが丁度重なる「ダイヤモンド富士」という現象が観られます。晴れていたら素晴らしい光景をお送りできることでしょう。
(04・01・28 八柳)
 

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